壁の言の葉

unlucky hero your key

 
 急な仕事、というのもやっかいなものだが、突然の休暇というのもなかなかどうして。
 それはそれで持て余してしまうものであーる。
 そうです、突如として、お休みをいただく運びとあいなりまして。
 それも、取り損ねていた夏休みを、である。
 といっても、普段の休日に一日だけ付け足しただけの、プチ連休にすぎない。


 さて、もともと出不精なこのあたし。
 今年になって、ますます部屋から出なくなってしまっているのが現状で。
 だいたいの休日は、ウォーキングと買い物以外は、部屋で済ましてしまうのだな。
 決してそれが好きなのでも、嫌いなのでもなく。
 結果としてそうなっている次第だ。


 しかしながら、
 せっかくいただいた貴重なお休み。
 という、もったいない根性で、無理やり予定をたててみたところで、無駄に疲れて終わるに決まっている。
 うんにゃ、決まっている。
 ましてや、こちとら方向音痴。
 でもって、致命的なひとりもんだ。
 街で、たった十分デパートに立ち寄っただけで、帰りの方向がわからなくなる。
 わずか十分で街を迷宮に変える痛いやつなのだ。
 もとい、ファンタジーなやつ、と。 
 のそのそどこかへ繰り出したとしても、のそのそに、のそのそのを上塗りするだけなのであーる。
 ならばだ、
 その、のそのそを活かすほかあるまい。そう、


 旅に出よう。


 言ってることが矛盾してるじゃないかと、そう思われることだろう。
 ああ、そうだろう。
 けれどね、かの内田百けん曰く、予定や目的をたてて行くのは旅にあらずと。
 たとえば、どこそこの名湯に浸かりに行く、というのは旅ではなくて、温泉に行ったというのにすぎない。
 ようするに、方向音痴の、無計画な、のそのそこそが、旅。
 むろん、温泉のあとに、恋人としっぽりうへへへな夜を目標にしているようでは、旅とは呼べないの。


 ひとりで、のそのそ。


 これ、これ。
 ならば、散歩もそれと同じ道理になるのではあるまいか。 
 なぜなら、
 アフリカの少女が、毎朝十キロも離れた井戸まで水甕を担いで往復するのを『散歩』とは言うまい。
 言ってはなるまい。
 ましてや『ウォーキング』だなんて、もってのほか。
 なぜならそこに、生活に直結した、重要な目的があるからだ。


 ひとりで、のそのそ。


 んなこって、闇生はプチ旅に出てみたのであーる。
 いや、日帰りであるからして、散歩と呼んでくれてもかまわない。
 とりあえず、駅へ。
 いつもと違う鉄道を選び、
 いつもとは違う方向を目指した。
 いや、「目指す」だなんて。
 舌の根も乾かぬうちに、もう目標を作ってるぞ。
 いかん、いかん。


 立川志らくが落語の解説本を上梓している。
 『全身落語家読本』
 こいつを読みふけりながら、どこ吹く風の風向きに、身をゆだねたのだが。
 はたしてそれが作用したのか、知らず知らずに、進路を西にとっているではないか。
 それはつまり、東海道のイメージだ。
 五十三次。
 つっても、行ける範囲はたかが知れているわけで。
 なんせそれは小田急線。
 頃合いをみて、社内の路線案内を眺めると、
 

 箱根


 いい響きじゃあーりませんか。
 旅っつたら、日本人たるもの、箱根でしょ。
 そういや今頃は紅葉の季節なんじゃないのかな。
 となれば、山か。
 いいんじゃない。いんじゃない。赤く燃える渓谷を眺めんのも。
 なるほど、山が深まるほど、観光客らしき姿が増えていく。
 そんな季節なのだな。
 都会の隅のしみったれたビルで、毎日エロエロしたのを売りさばいているうちに、世間はそんなことになっていた。
 しかし、なんだろね。
 このご老人の多さ。
 すごいよ。
 でもって、元気、元気。
 おしゃべりがうるせーのなんのって。
 圧倒される。
 この状況に気圧されないのは毒蝮三太夫ぐらいでしょう。
 成り行き的に、この老人集団と、登山鉄道に乗り合わせてしまう闇生なのである。


 乗ってから車内の路線図を見ると『彫刻の森』とある。
 あの有名な野外式美術館だ。
 昔からCMでばかり知っていたのだが、行ったことはなかった。
 まあ、現代美術なんぞ、たかが知れているので期待もなにもないのだが。
 ともかくも決めた。そこで降りようと。


 いちいち、そこで目撃した作品の感想をここに記そうとは思わない。
 刺激はあったよ。
 ほどほどに。
 けれどね、美術音痴がひとりで行くには、やっぱ退屈かな。
 ああいったのは、作家の奔放な、空間の『おもしろがり』を愉しむもので。
 おもしろがりを、おもしろがるもので。
 ものすごく極端にいえば、お化け屋敷だ。
 あれって、ひとりで入ってもつまんないでしょ。
 作り手の遊び心に驚かされたり、面白がったり、はたまたからかったり。
 そういうのは誰かと体験した方が、いいに決まっていますわな。
 ついでに言えば、
 たまの石川浩司がプロデュースしたレンタル・ボックス。
 西荻窪の、例のふたつの店のほうが、数倍おもしろいよ。
 そこに出店している作家たちのほうが、もっともっと、おもしろがって、いる。


 それはともかく、
 腹減った。


 館内にはレストランもあるのだが、こういう現代アートな場所柄か、こじゃれていてね。
 しかも、時間的にもずれていたのだろう。客がいない。
 となれば、野暮てんのあたしなんかお呼びじゃないわけで。
 最寄駅の真ん前に構えていた定食屋に、飛び込んだ。
 てか、店頭のメニューサンプルをのぞき込んだその瞬間にドアが開いて、
「どうぞっ」
 おやっさんに招かれたのだ。
 ハエとり草のごときその勢いに、負けたね。
 負けてこそ、のそのそだ。
 店内はがらんとしてて。
 客は、俺ひとり。
 ジャズが流れていた。
 ソニー・ロリンズのソリチュード。
 だと思う。ベースとドラムのトリオ編成のやつ。
 椅子、というより、腰掛けといった風情の席で、本日のおすすめをメニューからさがす。
 あった。
 

 カキフライ定食。


 どうだ。
 この山深い観光地で、カキフライだぞ。
 でもって、堂々とおすすめだぞ。
 たまんないね。
 即決である。
 食べてるあいだ、カウンターの中でおやっさんが電話をしていて。
 その声が、またでかくてさ。
 あらっぽくてさ。
 なんでも、知人の通夜の打ち合わせをしているのだ。
 ロリンズを聴きながら飯を食う、たったひとりの客の前で。
 俺が行くとカドが立つからよ、とかなんとか
 そばに息子さんらしき人がいて、たばこすってんだな。
 客席には灰皿ないのに。
 

 いいじゃないすか。


 あっとほーむで。
 テレビ画面がカラオケのメニューになっていたから、夜はスナックにでもなるのかね。
「式の前。三時までは店あけるよ。じゃねーと、もったいねーからよ」


 いいじゃないすか。
 

 家路。
 暮れていく山の景色を眺めながら、イッセー尾形の芝居を思い出していた。
 野外美術館の夜警の設定でね。
 閉館したあと、新入りを相手に芸術論をぶっているベテラン警備員だ。
 なまりがひどくて。
 おそらくそれは、学問として学んだ芸術論ではなくて。
 仕事がら、毎晩それら芸術作品と対話しているうちに、自然と肥えてきた審美眼であり、芸術論であり。
 プライドの背のびであり。
 その、巨匠作品を問答無用にぶったぎる、どんぶり勘定な切り口が、おもしろかったな。
「へいもぉぉぉぉぉん」
 夜警さんのそんな号令からはじまるんだ。
 きっと彫刻の森にも、夜の見回りがあるにちがいない。
 今宵、あのだだっぴろいなかで、ぽつんと孤独にやっているのだ。
 誰かが。




 帰りの電車は、通勤電車なみの混雑。
 シーズンだからなのか。
 お年寄りのおしゃべりに揉まれるようにして、どーにか、帰ってきた。
 いやあ、へろへろだ。
 へろへろ。
 普段、十時間以上は立ちっぱなしの仕事ではあるのだが、それよりずっと疲れたよ。
 行きも帰りも、お年寄りのなか。
 座れるわけがないのは、覚悟していたのだが。




 そういえば、石川浩司も旅の本を出していたな。
 サイコロで行き先を決めるという、すごろく式の旅の本。
 さすがである。
 観光地を目的にすること自体、甘いのだ。
 観察力と、おもしろがり力さえあれば、サイコロが決めた他愛もない町でも十分に遊べる。
 こういう発想の人は、きっと人生の達人だろう。





 ☾☀闇生☆☽


 のそのそ、してみませんか。