四時半に起きた。
いや、起こされたよ。
固定電話が鳴ってね。ワンコール。
その瞬間、あたしゃ跳ねるように半身を起こしたものだ。
で、じっと電話を睨んでやったのだが、それだけで先方は切った。
むう。
前職で、深夜のトラブルでバイトに起こされることが多かったから、身に沁み込んでんだな。
ツー・コールまでに起きて、
アタマをさまして、
スリー・コールまでに出るという。
にしても、なんなんだ。
向こうからかかってくるなんて皆無に等しいから、余計に気になるのよ。
おぉぉぉぉぉぉぉい。
待ってくれぇぇぇぇい。
そんな思いは微塵も届かず、船は去っていくのである。
みんな、どこいっちゃうんだか。
おかげですっかり目がさえてしまった。
むっくり起き上がって、パソコンをつける。
なんかしらんが、そこはとりあえず、つける。
でだ、
自分のブログを読み直して、がっつりとおちるのだな。
なにやってんだか。
気を取り直して、ニュースをながめる。
空自トップの論文をめぐる報道。
まだやってんのね。
報道姿勢の腰が定まってないから、重心が泳いじゃって、泳いじゃって。
みっともないわ。
彼らは、自覚できてるのだろうか。
自分たちがなにに腹を立てているのかを。
腹を立ててみせる対象が、何であるのかを。
おそらくは、自覚しようとして、あらためかけて、あらたまらなかったと。
洗脳とはそういうものだ。
と、あらためて思う。
で、
簡単に、こうやっつける。
個人の心情・思想は自由だけれどぉ、立場がぁ。
シビリアン・コントロールがぁ。
云々、かんぬん。
思想が自由でも、シビリアン・コントロールが効いていれば、結構じゃないのかな。
ないのか?
だめ?
論文の趣旨があれとはマ逆の自虐史観だったなら、お咎めなしなのだろう。
そのときは『立場』云々は引っ込めると。どうせ。
しかしまあ持論、持論て、うるさいね。
ならば、持論にすぎぬというその箇所を、せめて、史実的・史料的に検証してみてはどうだろうか。
この際、それを考えるきっかけにしちまおうよ。
いったい我々は何を恐れているのだろうかと。
あの論文がもしもマ逆の趣旨だったなら、マスコミは『持論』はつけぬのだろうね。きっと。
少なくとも彼が侵略を悪と考えていることは、文脈からは明らかだろうに。
侵略を嫌うものが、空自のトップだったと。
ところで政府見解ということにしている村山談話って、そんなに拘束力があるものなんですか。
はあ。
談話がねえ。
かつてね、国会による、過去の戦争についての謝罪決議なんてのが、あった。
それは『現代の価値観』で『過去の価値観』を裁くなんていう野蛮なものだったから、われわれはそれを署名で阻止した。
その数なんと506万人分。
困ったのはときの首相。それが村山。
なんとしてでも過去の日本を悪者にしたいものだから談話というトリックで、隣国に媚をうりつつそれを強行したという次第なのだ。
つまり、民意を首相がうらぎったの。
しれっとして。
そんな、いけしゃあしゃあ、の産物なのよ。
あの談話は。
そんなものを黄門さまの印籠のごとくあがめているのは、どうなのよ。
ねえ。
ワイドショー的な印象操作、紋切り型でやっつけないで、しっかりと、こういう機会に考えましょうよ。
事なかれ主義で、世論にゆだねるのは、悪い癖です。
以上、
たかがエロDVD屋のたわごととして。
☾☀闇生☆☽