生徒による学校のトイレ掃除。
横浜の市立学校で三十年ぶりに復活だそうな。
そう言われても、生徒に自分たちが使うトイレ掃除をさせていなかったこと自体に、驚き、桃の木、馬場猪木である。
対象は小学三年以上。
これには賛否両論がある、というのだから、もう笑っちゃうね。
てか笑っちゃおう。
いわく、ノロウィルスの危険性が云々。
へえ。
ようは汚いものは、誰かにいつのまにか始末してもらおうという、人間の姑息をすりこもうと。
そういう魂胆だ。
きっとこういう教育、しつけで育った子は、トイレ掃除なんぞしないね。
ばかりか、それを職業とする人たちを、侮蔑するようになる。
間違いなく、そうなる。
断言する。
今、映画になって話題になっているが、クラスで育てた豚を、最終的にみんなで食べられるかという、実録ものがありますね。
あれも結局は、面倒は誰かに見えないところで始末してもらいたい、という。
けど、豚肉は食いたい、という。
そういう無意識の忌避や、偽善の感情が、あの生徒たちの葛藤の対象なのだと思う。
その豚を飼育している間も、食卓にのぼる豚肉は食い続けているのだろうし。
見つめるべきは、その自分たちが忌み嫌ったそれを生業とする人々。彼らへの差別意識であったりもする。
学ぶべきは、それを含めたもろもろへの感謝であったりもする。
もろもろ。
長年、アルバイトを使い続けていると、確かに、トイレの使い方ができない奴が多くてね、困るのよ。
汚しても、そのまんまだ。
指摘しにくいよ。
こういうシモのことは。
いろいろ気を使って注意したとて、逆ギレだね。
不肖闇生。
基本的に率先垂範をモットーにしていこうと考えているので、どの職場でも、汚い仕事は自らすすんでやってきたつもり。
んが、
後輩やバイトがすすんでそれを代ろうという態度には、出くわしたことがない。
ただの一度も無い。
だいいち、自発性が無い。
先日、素手・素足でのトイレ掃除を教育の一環として組み込んでいる学校が、新聞で取り上げられていた。
ビート武は、公衆便所でも、自分が使ったあとは、ぴっかぴかになるまで素手で掃除しているという。
勉強のひとつもできなくったって、最低限の公共マナーをわきまえているほうが、よっぽどかっちょいい。
たとえ、自宅のトイレの使い方が汚くても、よそでは、きちんとしているならば、やっぱかっちょいい。
でしょ?
あたしたちには古来、
『ケツを拭く』
という言葉がある。
かっちょいい奴は、自分で始末するものである。
☾☀闇生☆☽
別にモラリストぶろうってんじゃないんですけどね。
第一、不徳を売るエロ屋がそれをやっちゃ、噴飯でしょーが。
そして、その噴飯にこそ、常識が宿っていると。
まあ、
そういうことだ。