壁の言の葉

unlucky hero your key


「なんか入った?」
 その常連さんは、顔を見せるなり、必ず決まってそうきり出されるのだ。


 恥ずかしながらあたしゃエロDVD屋でござる。
 ということは、常連さんの問うのはその新作が入荷したか、ということ。
 有り体に言えば、いいブツが入ったかと。
 エロDVD屋の仕入れというものは、委託契約によって自動で入荷するものもあれば、任意発注で手に入れるものもあって。
 大手メーカーの委託品などは、毎週のように100本、200本単位でどかっ、と届けられる。
 それだけではない。赤本といって、書店から引き上げられたエロ本が、特価本としてごっそり入ってもくる。
 そしてそれらのジャンルはといえば、エロとはいえ決して一筋縄ではいかず、実に多種多様。さまざまなのだ。
 さて、そこへきて「なんか入った?」である。
 なんか、って。
 なんだ?

 
 うちは比較的SMに重きをおいて他店との差別化をはかっており。
 その常連さんも、毎度、その手のを買っていかれるから、その「なんか」はSMジャンルであることは確かだ。
 さらには、女王様vsM男ではなく、縄師vsオンナというくくりのものに限るのも、把握した。
 といっても、ボディサスペンションや針、スタンガンや窒息といった激痛系ではないのも、わかっている。
 ならばと、安易にその系統の老舗シネマジックやアヴァを基準にして、
「入荷してますよ」
 だなんてやると、常連さん、そそくさとその棚を眺めてひと言。
「なんも入ってない」
 断言である。
 いや、宣言といっていい。
 どれも今週入りたてのほやほやだというのに、にべも無いではないか。
 彼は首をかしげ慨嘆しつつ、帰ってしまわれるのであーる。
 店として、これはそーとーに悔しいものなのだ。


 はてはて、いったい彼は何を求めているのか。
 よくよく観察すると着衣緊縛ものが多いことがわかった。
 これは、服を着たままの女優を、そのまま緊縛するというもので。
 監禁、というシチュエーションのなか、もじもじとその拘束と恥辱に耐えるおんなの肢体を、じぃ〜っくり愉しむという趣向。
 いけいけどんどんのエロ描写に飽きてしまった通人たちが、ワビサビを求めてたどり着く、屋根裏の桃源郷といっていいだろう。
 なるほど、その強力レーベル隷嬢寫眞館、DID企画、D’sなどへの反応は、実にいい。
 海外レーベルのHarmony Conseptsにも触手をのばされる。
 新作の発売日などは、ながいことパッケージを注視されて、検討に没頭しておられるではないか。


 よし。


 よめた。
 確信して、しばらくは新しいのが入るたびにそれらを取り置いて薦めていたのだが、ときに、
「なんも入ってない」
 またあれをやられることがあるのだ。
 言うに事欠いて「なんも」はないっしょ。
 これはいったい。
 どうやら、さらなるこだわりがあるようなのだが、はて。


 着衣緊縛(DIDもの)というのは、シチュエーション上、どうしても女優に猿轡をすることか多い。
 ボンデージならボールギャグ。
 これはあのゴルフボール大の玉を噛ませるアレですな。
 はたまた、和縛りならタオルや縄、手ぬぐい、竹などのほかに、オリジナルの器具にもいろいろあって。
 その常連さんはどうやら手ぬぐい好きらしいことが分かった。
 いまどきの女が、


 


 なんて書かれた古風な手ぬぐいを噛まされている、そのアンバランスの妙。それを視姦するのである。
 なるほど、エロは笑いと背中合わせである。
 よっしゃ。こんどこそ常連さんの好みは摑んだと。「なんか」の正体、突き止めたりぃっと、闇生はほくそ笑んだのである。
 実際、その線で推薦をしてみると、ご満悦のご様子だ。
 案の定、ほくほく顔で、大人買いして頂いた。


 あざーす。


 んが、悦びもつかの間だ。
 数日後、もうそれを売りに来店されるではないか。
 その顔色も冴えない。
 開口一番、
「ぜ〜んぜんダメ」
 そ、そっすか。
 ど、どこが。
「な〜んにもやっていない」
 そこまで言うか…。
 もうこうなったら訊くしかない。
 そう決意したのだが、訊くまでもなく、ついにご自分から口を開かれたのである。
 よほどたまりかねたのであろう。
 曰く、一番肝心なのは猿轡の『なか』なのだという。
 口の中に、何を押し込んでいるか。
 もっとも好ましいのが、女優がその日穿いてきた下着。ようするに生ぱんちぃを、
「口にぎゅうぎゅう押し込んでやりゃいいんだよ」とな。
 おおお。
 たしかにそれは凌辱だ。
 自分のパンツを口の中にって。
 男も女も、どうか想像してみて欲しい。
 自分のパンツだぞ。
 いま穿いてるソレよ。
 でもって猿轡って。
 口の中のブツが何であるか、そこまではパッケージ写真では読めないっす。
 その常連さんにとっては、それこそが唯一絶対的なエロであり、それ以外はゴミも同然なのだ。
 でも、思った。そういうプレイは、やっぱ概念の産物だなと。


 押井守がその著書で、本来、動物的本能であるところの性欲ですら、人間は言葉にし、文化にしてしまったと。
 ゴスロリがいいの、
 ローライズ半ケツがいいの、
 熟女のセーラー服がいいのと。
 はたまた少年のスク水がいいの、
 おっさんのふんどしがいいの、
 ローションまみれのおでぶちゃんがいいのと。
 そうやって、なんのかんのと言葉にし、文化にしてしまった現代では、例外なく全員が変態である、と。
 全員が変態なら、それは変態とは呼ばぬはずだが、まあ便宜上、そうなのだと。
 しとけと。
 
 しかしまあ、こうまで細分化されてくると、商売としては、ますます難しいことになってくる。
 それでもね、自分が全体のどの辺にいるのかを自覚できていればまだ、違う趣向の者同士、意思の疎通もできようというものだが。
「なんか」
 だなんて。細分化されたなかのちっぽけな部屋に棲んで、その世界から天動説を唱えられるとなると、なかなか、どうして。
 どうして、どうして。
 なんだか、非常時の119番での電話のやりとりを連想してしまったよ。
 状況、場所を当人が把握できないままに、
「早く来て」
 なんていう。


 いや、これはエロだけの話しじゃないのよ。
 おおまかな共通認識があって、そのうえでそれぞれが自分の位置をつかめていれば、個性をたもったまま繋がれるでしょ。社会にしろ、世界にしろ。
 というのも、長年、店長をやってますとね、バイト君たちの、
「なんか」
 に、悩まされることが、少なくないのだ。
 自分の趣味、価値観を強く持っているのは良いとしても、その枠外のことには、がっちりシャッターを下ろして閉じこもってしまうのだな。彼等は。
 だから自分のことを質問されるとご満悦で開陳する。
 最初は、話してもどうせわかんねーだろ、という上から目線で。
 そこをくすぐると、次第に節操無く。
 けれど、その場の誰かに話題の中心が移ると、とたんに閉じてしまう。
「きょーみ無いんで」
 興味はあるなしでなく、持つものだ。
 持ってこそ、更なる興味が湧き出てくるものだ。
 

 そんなこったから、世代や趣味の異なる者同士の場では、石になってしまうわけ。
 でもって、むっつりとイデオンとか、ボトムズのこととか考えてる。
 地球を悪から守っている。
 ましてや客商売だっつの。
 世代や、趣味がまったく違う者に通じるように話したり、それを聞いたりするのって、なんと言おうか、やさしさ能力総動員といおうか、人間力って言ったらいいのか、そう、とどのつまりが、


 開く、


 でしょ。
 振る舞いもふくめて。
 活性化する。アクティブになる。 
 てことはむろん力が要るわけだから、転じて「たるい」となりやすい。
 けれど、もったいないじゃないっすか。
 どう考えたって、外のほうが広いのだし。
 ま、冒頭の商売でのことは別としてね、
 そんな機会を「なんか」の天動説で閉じてしまうのはさ。
 どうすか。


 わしゃいつも念じつつ、接してるよ。


 





 ☾☀闇生☆☽


 開けゴマ、と。