壁の言の葉

unlucky hero your key


 ながいこと店員をやっていると、お客さんとのすれ違いも、数多く経験するもので。
 といっても、なにもクレームだとかいう大それたことではないのよ。
 ファールチップのような、そんなささやかなすれ違い。
 思うに、店とお客さんの関係というのは、バッティングピッチャーとバッターのようなもので。
 気持ちよく打ってもらいやしょうという側と、それじゃ打ちましょうかという側。
 あい対しているにも関わらず、目標の方向性は、おおまかには同じよ。
 補完し合うべき関係。
 いやん。
 なのにチップしちゃうんだな、ときに。


 たとえばかつてレンタルビデオ店に勤めていたときだ。こんなことがよくあった。
「炎628、ってどこにありますか?」
 どーんとマニアックではないか。
 しかも店員として試されてる感が、半端ではない。
 ともかく、そんなプレッシャーを背負いつつ、
「ええと、確かここの…」
 と記憶をたぐって、それが置いてあるはずのコーナーへと向かう。
 すると、お客さんもついてくる。
 でもって、なんと、探すあたしと棚との間に、滑り込んでくるのだ。その方は。
「この辺?」
 と。
 それはきっとあれだ、親切。
 だども、あたしのまえにはお客さんの後頭部である。
 棚が見えない。
 これはなにかい。二人EXILEかい、と。
 Choo Choo TRAINやらかしましょうかと。
 すまん、辞めた今こそ、言おう。言ってしまおう。


「邪魔っす」


 さらに、運悪く目当てのブツを、ほかのお客さんがどこかよそのコーナーに混入させてしまっていたとなると、さあ大変。探索の先々にお客さんはついてきて、その都度、棚とあたしの間にすべり込むのだから。
「こっち?」
 あたしがお客さんの背中越しに首を伸ばして棚を望めば、お客さんもその視線を察してそこへ首を伸ばす。
 だから、EXILEかと。
 うけて立とうかと。


 通りに面した一階の店舗なら、よく通りすがりに道を訊かれることがあって。
「○○博物館て、どこ?」
 それは近所だし、道順も簡単だからと、あたしゃ店先に出て説明を始める。
 そこは爽やかに、振舞うさ。
「この道をまっすぐ行ってですね、あの信号を」
 すると、こともあろうに、訊ねた当人があたしの前にずずずいっと立たれる。
 あたしの前に、背中。応答はその背中越しになってしまうのだ。
「え? あれを右?」
 と。
 だからEXILEかと。
 以降、まったくもって要領を得ないやりとりになってしまうのであーる。


 たのむから、あたしの後ろについてくれ。


 ビデオ屋ついでに。
 TSUTAYAのような大型チェーン店と違って、個人経営のちっちゃな店は、大作といえどもそんなに本数をそろえられない。
 大型店が同じタイトルをどーんと並べていて、しかも、いつでも借りられる状態にできるのには、そういう仕組みがあるからなのだ。
 委託システム。
 仕入れはタダ同然で、その商品のレンタル回転数に応じて何割かをメーカーに支払うという。
 そのためには、店舗がズルをしないようにと、高額なPOSシステムの導入が絶対条件で。
 ほかにも契約料があったりして、まことにもって個人店潰しなシステムなのであーる。
 だもんだから、ちっちゃいとこはダメなんよ。
 特にアメリカのTVドラマの人気シリーズなんか、すぐに大渋滞をおこしちゃう。
 たとえばその第8巻を延滞されると、みんながみんな7巻で足止めされてしまうわけ。
 で、待ちきれない7巻どまり派の一部が、先回りして9巻を借りて、それを観ずに8巻の返却を待つだなんて荒技を繰り出されると、たかが渋滞が一触即発の冷戦のごとき様相を帯びてくるのであーる。
 そこへ、待ってましたとばかりに8巻延滞者が返却に現れることがあって。
 ところが、すぐに返却とはならないんだなぁ、これが。ええ。
 大概が、その8巻を抱いたまま、その日に観るぶんを物色される。
 悪くすると9巻の返却を待っていたりする。
 会計を一緒にすまそうというのだろう。
 その合理精神はわかるのだが、それを待っている人のことを考えると。
 ね。


 おしいんだ。
 何かが。


 一旦返却して、そのうえで手ぶらでゆったりと、心ゆくまで探してくりゃれと。
 カウンターの中からだと、それら全体の事情が見えてしまうから、あたしなんざつい、
「あ。すいません。返却、先にどうぞ」
 とやっちまう。
 十中八九、煙たがられるけどね、こればかりは仕方がない。
 案の定、渋滞はただちに流れを取り戻すのだから。
 嗚呼、それなのに、
「いい、いい。今日も借りるから」
 と拒まれることもあったりするから。
 ううむ、なんだろ。このすかされっぷりは。

 
 ファールチップ。


 その間、あきらめて、聞えよがしに、
「いいや、TSUTAYAに行こう」
 と、事態を知らずに去っていかれる方があり。
 チラ見で、待ち続けている方も、あり。
 つらいっすよ。
 もお。


 そういや、レンタル店での問答で最も多いのが、やっぱ身分証明でしょ。
 アイデンティティー。
 これもね、この平成のご時勢にもいらっしゃるのだ。何も持たずに来店されて、
「ほら、あそこの青いマンション、ハイツ○○の山田だけど」
 それだけで借りようという。
 都内の密集地で「あそこ」言われても。
「大丈夫。ちゃんと返すから」
 つわれても。
「信じろよ」
 つわれても。


 あと、有名人か。
「この雑誌に出てるの、あたし。ね。ほら」
 この手のが実に多いのだ。
 でも、それはアイデンティティー・カードにはなりませんて。
 有名か否かでいうなら、町内の床屋のおっさんのほうが、我々にはリアルな有名だ。
「オマン・コランスキー監督コーナーってどこ?」
 シモネタのしぶさも、無敵だし。
 だいたい芸能人って、もちろんいい人もおおいけれど、延滞が多くてね。
 ロケとかなんでしょう。
 で、その感覚が麻痺しちゃってるから、平気なんだな。
 結果、カネ払えばいいじゃんと。
 延滞されても連絡とれないし。
 連絡先を事務所にしたりする方もおおい。んが、電話したところで、だいたいが訝しげな応対よ。
 そりゃまあ、そうだろうけどさ。
 ねえ。
 すねちゃうぜ。あたしゃよ。


 身分証明っていうのは、つまりはアイデンティティーってことで。
 厳密な意味で、日本人て身分証明書がないんですね。
 そこがまず、我々の意識のあいまいの現われなんですな。
 免許証は、その代用なわけで。
 あくまで運転免許証だし。
 取得に義務はない。
 住民票も戸籍も、写真がついているわけでなし。
 赤の他人がそれを使ったって、ばれにくい。
 保険証もそうか。
 けど、外国人登録証明証ってのは、IDカードですから。
 IDとはアイデンティティーですから。
 そのためのカードなのだ。


 考えてみると、あたしはあたしだよと社会的に証明するのって、実は大変なことなんですなぁ。さまざまな信頼のうえに、かろうじてのっかって、奇跡的にあたしになっている。
 だもんだから、会員証というものは、入会時の身分証明の手間ヒマを、その都度簡略化するためにあるわけだ。
 なのに、
「あ。会員カードわすれちった」
 だなんて、
 しかも他に何ももたずにおっしゃる。
「でも、名前言えば、いいでしょ。登録はしてあんだからさ」
 もし名前を言っただけで利用できたなら、逆に怖いと思うのだよ。そんな店。
 そういうタイプの方々は、銀行でもそれで通すのだろうか。
 実際、客におされてカード無しレンタルを慣例化してしまったビデオ店は、延滞者に付け込まれてね、
「おたく、カード無しでも貸すじゃん」と。
「間違えて、入力したんじゃないの」と。
 悪意がないとしても、入会している友だちや家族の名前をかたって、つい借りてしまう場合もあって。その場合、うっかり延滞して、催促の電話がかかってきても当人には記憶にないから、コトはこじれてしまう。
 そんなこと、いっぱいあったなぁ。


 いや、マジで。


 高校生が成人の兄貴の名前をかたってAV借りて、延滞して。
 こっちゃ知らないから、登録名に催促の電話かけますわな。
 当人は覚えがなくて。
 こじれにこじれたころに、ようやく弟の仕業と判明して。
 その母親が店に乗り込んできて言うことにゃ、
「貸した店が悪い」


 けどね、今や時代はネットでレンタル。
 じきに配信。
 そんなことになっていく。
 となるとですね、これらは身分証明をしている、という実感のないままに利用できるシステムなわけで。
 現住所証明も、商品がそこに届いたということ自体が、それになるし。
 延滞すれば、次からは利用できなくすればいい。
 んで、
 結局、我々のアイデンティティー意識は、そんな『便利』にあまやかされて、曖昧なままに取り残されて。


 どこさ行くだよ。

 
 まったくの他人と、貸し借りの関係を結ぶ。
 これって実に複雑な、人間ならではの能力だとおもうのですが。
 譲渡でもなく、
 献上でもなく、
 ましてや強奪でもない。
 貸借。
 友人同士でも、そこに性格が出るでしょ。
 貸し方に。
 借り方に。
 返し方にも。
 性格ばかりか、関係も出るよね。
 なあなあなのか。
 ゆるゆるなのか。
 ガチガチなのか。
 親しき仲にもナントカなのか。
 

 野田秀樹の芝居に『透明人間の蒸気(ゆげ)』というのがあって。
 前世紀から今世紀へ、失われつつあるものをタイムマシーンで運ぼうというくだりがある。
 ちゃぶ台とか。
 電話ボックスとか。
 銭湯の番台とか。
 どれもこれも昭和の匂いのするものばかりだ。それらを、寄ってたかって、ひろげた大風呂敷に詰め込んでいく。
 なかでも、上演でかならずウケたのがこれだった。
「お隣から醤油を借りる、風情」




 町のビデオ屋の店員とお客さんとのEXILEな関係も、あるいは、ゆくゆく…。






 ☾☀闇生☆☽

 
 うん。