夜中にウォーキング。
コトリンゴを聴きながら。
で思った。そぞろ歩きの散歩には合うが、これ、汗かきべそかきのウォーキングには合わないね。
なごんじゃうのだわ。
まっさきに比較されるのはやっぱ矢野顕子だろうか。
ちなみに、矢野顕子がいくらジャズ的アプローチをしても、ジャズを聴いたという後味はのこらない。
それはもう、本人の意図するしないに関係なくだ。
頑なに、そこに矢野顕子。
しかしながら、コトリンゴはそっち(JAZZ)のお勉強もしっかりやっているようで、それはそれで出来てしまうと。
しかも、すこぶるうまいと。
むろん、それはコトリンゴにとってのマイナスではなく、武器でしょう。
矢野顕子の、どうしようもなく矢野顕子という部分は、それはもうどうしようもないわけで。
くるりの『ばらの花』をライヴでカヴァーしているのだが、これがまた圧巻で。
そのライヴでのパフォーマンスがyoutubeで観られるから、よかったらチェックしてみてください。
あの曲にはそんな魅力もあったのねと、泣くから。
あ。
それで思ったのだが、矢野の盟友、大貫妙子も感じないではなかった。
+不思議ちゃんといったところか。
こういういわゆる『いやし系』とか言われてしまいがちな歌手というのは、歌唱法がのっぺりと平坦なだけに、この先に展開されるボキャブラリーが命。はたしてどこまで豊かに展開されるのか。それにかかってくる。
しかし、こんな歌詞がこの二枚目のアルバムにすでにありまして。
いっしょにゆこうよ世界が変わる前に
花の名前がぜんぶ同じになる前にいそいで
(コトリンゴ『おいでよ』より。)
自由のグローバル化、という不自由をちゃんと歌に消化しているのが、素敵じゃありませんか。
それはつまり画一化の窮屈。
ね。
ということは、きちんと時代(今)と向き合いつつ、未来を歌うということ。
言わずもがな、言葉は未来にしか届かないのだから。
届く言葉というものはみな、『今』を踏み台にしているわけで。
この先、ますます期待できそうです。
たとえばあのスター・ウォーズのヨーダも、弟子ルークの未熟をこう嘆いたものだ。
この若者は未来ばかりを見ておる。今を見ておらん、と。
けれど、その『今』の、ようするに自分の現状のたよりなさから、人はどうしたって未来にすがってしまうもの。
地に足をつけずに。
それはなんだろ。
たとえば宝くじのようにだ。
ヨーダはSF映画の剣豪だが、漫画の剣豪もまた到達する境地は似ているらしく。
漫画『ベルセルク』には、こんなくだりがある。
それは主人公である剣士ガッツに、イシドロという子どもが、てっとり早く剣豪になれるコツを聞こうとするところ。
なにか必殺の技でもひとつ、教えてくれと。
つまりショートカットはねえかと。
共に旅をするパーティーはみな、それぞれ個性的な技を持っているのに、自分だけがそれを持たないことを少年は焦ったのだ。
ガッツは諭すのだな。
そんな一発逆転の技なんかない、と。
お前は剣豪になってから敵と戦うのか、と。
そんなコツは闘いながら自分で身につけるしかないんだ、と。
んで、技が無いなら無いなりに、ともかくも今持っているもので、やりくりしていくしかないだろ、と。
ようするに、言いたいのはこうだろう。
君は一人前になってから社会に出ようと言うのですか。
なんだか、話の収拾がつきそうにない。
すまぬ。
きっとあたしの『今』の不甲斐なさが、そんなことばかりを考えさせるのだ。
我がエロDVD屋は大不況。
売上が下がるから予算が減り。
予算が減るから、仕入れに響き。それがまた売り上げに影響して、と。
悪循環でござる。
それでも、ここんとこ小説の執筆はかなりはかどっているのですな。
ま、
お披露目する機会があるかどうか、わかりませんが。
書かずにはおれないので、書きつづけている次第で。
作中の人物はみな、相変わらずアホやらかしてますわ。
では、
今日のところは、おやすみなさい。
☾☀闇生☆☽