東京では今月からゴミの捨て方が変わりまして。
これまで不燃ごみあつかいだった物の多くが、可燃あつかいになると。
はやくも混乱しておりますよ。ええ。
いえ、自分のなかでですけれどね。
ゴミの問題というのは公共ごとですから、各個人にとって面倒くさいかどうかは二の次にすべき部分があるわけですな。
どうしたって。
ましてや、あたしゃエロDVD屋です。
エロはともかくとして、商店から出るゴミは『事業系ごみ』として有料だ。
それには、ごみ処理券という有料のシールを貼って、事業名を記したうえで捨てているわけだから、地域の目にさらされるわけ。
いやん。
つったって、見られる。
たとえ無記名にしても、半透明のゴミ袋のなかには、おねーさんたちのあられもない姿が、細切れになっているわけですから。
だもん、気を遣うわけですよ。
あたしなんかでも。
ゴミに。
むろん、おねーさんにも。
日々メーカーから届くエロい商品は、緩衝材に抱かれている。
その一番メジャーなのが、ご存知『ビニールのぷちぷち』だ。
あの、可愛さあまって憎さ百倍の、ささやかなS気分を味あわせてくれる空気の粒。
ぷちぷちと呼ばれるほどの豆サイズならまだしも、菓子パンの袋ぐらいのなんかは、それを潰して、しぼって、丸めて、と。 できるだけ小さくして捨てているのであーる。
いわばM的に、処理させていただいているわけ。
大量のサンプルジャケット写真だってそうだ。
束をとめているホチキスをひとつひとつ外して、紙はちぎって可燃に。ホチキスの針は不燃にと。
そりゃあもう、かいがいしくも健気よ。
そんなこったから、習慣として身についてしまっていて。
私的なペットボトルのゴミなんかも、ラベルを脱がしてまっぱにして、ゆすいで透かして陵辱した挙句、うりゃっと踏み潰してから、コンビニの専用回収ボックスへと華麗にダンクして帰ったろかと。
んが、
大概、ボックスはすでに溢れかえっているのだ。
着衣、ふくれっ面のペットボトルでさ。
おいおい。
脱いで、洗って、肩身をせばめてから入れよと。
銭湯と心得よと。
バカ正直にまっぱで入るやつ、恥ずかしいじゃんよと。
じゃんよと言っても始まらない。
連中は潰されてないばかりか、ご丁寧にキャップまでかぶっているから、ゴミ箱のなかはほとんど空気。
この大量の空気を輸送しているのだ、清掃局のトラックは。二酸化炭素を吐きながら。
なら機械でまとめてつぶせったってね、つぶれませんよ、あれは。
結局、まことにもって残念な光景には違いない。
だからいつもあたしゃ、ダンクをあきらめて、そこに添い寝させて帰るのである。
まっぱを路上に放置する。
でもって、安らかに、と。
とまあ、それくらい気を遣っていたのである。こんなあたしでも。
なのに突然、
「んもう、混ぜちゃって」
なんて言われるのだから、釈然としないではないか。
今日、店のゴミ箱を覗くと早くもビニールと紙が、すっかり混ぜご飯になっている。
どうよ、これ。
これを、たとえば、隣の家で燃やされたら。なんて思う。
意外とダイオキシンは心配すべきほどの量は出ない、とか。
埋め立て地の確保の問題、とか。きっといろいろあるのでしょう。
そして、このルール変更も、諸事情をふまえた上ではあるのでしょうが。
ううむ。
でも、やっぱりなんか腑に落ちない。
社会に『便利』が増えるのは喜ばしい。
けれど各々の『めんどくせえ』を助長させるルールというのも、どうなのと。
思ったの。
思ったよ。
思ったさ。
したらね、ひょいと思い出したことがあって。
小学校の理科で、はじめて『燃焼』について教わった。
それによれば鉄が錆びるのも、酸化というゆっくりした燃焼であると。
ばかりか、ほとんどの物質は多かれ少なかれ燃焼しているのだと。
人間の老化だって、言ってみりゃそうだと。
死んだらなおのことだと。
燃えない物質なんてのは、ほとんど無いのだと。
そう教わった帰り道だ。
ゴミ捨て場の案内板には、可燃と不燃の指定が記されてあるではないか。
いったいなんなんだ。
嘘つきは先生か、科学か、大人のルールか。
おバカな闇生少年と燃焼のあいだには、それ以降、おバカなわだかまりが、わだかまりつづけたといふ。
閑話休題。
いまやゴミまでがすっかり多様化してますからね。
それもまた我々の便利に寄り添って作られてきた経緯があるに違いないのだ。
少なくとも、古代の貝塚のようには、シンプルにいかない。スマートにもなれない。
京都議定書のどーしたこーしたも、最大の敵は大衆の『めんどくさい』だろう。
とまあ、そのへんのことは、考えるのも『めんどくさい』のですが。
☾☀闇生☆☽