「さて、その正体は…………、CMのあとで♪」
なんてテレビでよくやるCMまたぎ。
イライラしますねえ。
出勤まえの慌しさのなかでこれをやられると、ささくれ立っちゃいます。
いけません。
お肌にもいけません。
CM中にチャンネルをかえられないようにという制作側のテクニックのつもりなんでしょう。
けど、どうすか。あれ。
要は、飼い犬に「待て」をやっているようなものでしょ?
犬っころに見立てられているのでしょ。我々が。
その、上から目線をタレント・キャスターの笑顔でもってごまかしとけ、という。
そもそも内容に自信がないから、そんな子供だましをやるのであって。
(ついでに言えばCMにひきつける自信もないのだな。)
待たされた挙句に、CM前の経緯をまた復習させられて。
挙句、はぐらかしのようなオチを見せられて。
更には、そのオチをテロップで強調されて。
規制が強いから、なにをやっても企画はおよび腰だし。
気づけば正味十五分の内容を、一時間かけて観ている。
あああ、洗濯でもしときゃよかった。
となると、待ったぶんの時間を返しとくれと、スポンサーに小言のひとつもぶつけたくなるもので。
あたしゃもう待たないことにしてんだ。
チャンネルをかえるか、テレビを切るか。
みたい番組は録画して、あとでCMを回避しつつチェックすればいいのだし。
‘80〜’90年代は、『作品』とでも呼びたいようないいCMが多かったが、最近はとんと見かけないから、それで悔いもない。
バラエティー化したニュース番組にも、うんざりさせられることが少なく無く。
専門家でもないタレント・コメンテーターののたまいは、その場の思いつきばっかで。感情だけで。真面目にみてるとコキ逃げかまされる有り様である。
未消化のままに放ちやがるから、これがまたタチが悪いのなんのって。
すでにキャスターにプロはおらず、数字の機嫌に寄り添った私見を垂れ流すアマにすぎないし。
おいおい、ブログじゃないんだから。
メモ合わせで馴れ合いを続ける記者クラブの発表というものも、世界的に見れば非常識だというしね。
かといって、
TVドラマに質を求めるのは、とうにあきらめているのだな。あたしは。
そのほとんどがタレントのプロモーション・フィルムと化してるから。
と、
気づけば毎週律儀に録りつづけているのは、ついに『ガキ使』のみにということになっているではないか。
それもどうなんだと。
フツーに歳なんじゃねーかと。
フリートークが年々激減してしまって、もはや惰性で追いかけている次第で。
うん。
ウケていることになっているネタ番組は、インパクト勝負の「いないいないばぁ」に過ぎんし。
やっぱ視聴率至上主義がいけないのでしょうか。
決して『視聴率=番組の支持率』ではないと思うのですが。
そうなってくるとだ、かつてのNHKのドキュメント番組が苦みばしった大人の味わいを醸し出すわけですが。これはこれで、この先ますます媚びて、民法的になるでしょうしねえ。一連の東京裁判史観のやつも、もういいかなと。
でもって、地デジねえ。
いつの間にかテレビ局が足並みそろえて異論を排除しているところからすれば、コワ〜イ大人の事情があるのでしょう。
これほどまでに強引な変革だ。その原動力は、さしずめ利権ですか。談合ですか。
で、地デシねえ。
わざわざねえ。
だからね、
いい機会だから、テレビやめようかなとまで思っている。
いや、それは極端だとしても、せめてラジオのような「ながらメディア」にすれば、家事の効率にもいいし、ストレッチだってはかどるし。第一、視覚を束縛されないから想像力が使える。
地デシねえ。
実際、観ないで過ごした休日は、時間が長く使えて充実感がわくからなぁ。馬鹿にならないのだ。
この馬鹿が言うのだから、そこはひとつ信用していい。
なにより読書の時間が増えるよ。
音楽も「ながら」ではなく、対峙して聴けるし。
久しぶりにゲームなんぞもやっちまったし。
地デジねえ…。
リアルなうんこがどーしたこーしたと書いたばっかで何をえらそーにと、そうお思いでしょうが。ネットのおかげでテレビ離れはすでに始まっているともいいます。
ってところでどうすか、地デジ。
そこまでして環境をそろえてあげるべきものなんすかねえ。
☾☀闇生☆☽