映画スカイクロラの残像が、まだこびりついている。
以下、またしてもネタバレ注意である。
クライマックス。
死を望む草薙との対峙から、映画は明確に原作から離陸し、飛翔する。
とどのつまり、オチが違うぞと。
そこからティーチャとの決戦までの時間は儚くも、濃い。
そこに作り手の賭けが見て取れたし、この映画を介して放とうとする想いが詰まってもいた。
そういうのにはただただ圧倒されるしかないわけで。
CGが、技術がどーしたこーしたのと、訳知り顔でのたまってるのなんて、もうちゃんちゃらだ。
かんらかんらだ。
結局、観客は理屈や技術論がふっとぶような何かを求めて、劇場へ行くのだから。
作り手からすれば、技術を技術と意識させないまでに技を磨くわけで。
理屈をこえるまで、理詰めで煮込むわけで。
その技をささえるのが、得体の知れない想いなわけで。
そこに映画はある。
うんにゃ、ある。
ところで、ティーチャという存在。
その解釈を草薙が述べるシーンがあったが、あれはどうだろう。
ティーチャはキルドレでなく、大人の男だ。
キルドレとは違い、いずれ老い、衰えゆく存在である。
歴戦の勇者ではあるが、絶対の強者であるはずがない。
原作での草薙はそう理解していたはず。
ティーチャがあえて選んだ旧式の機体も、そしてその腕前も、いずれは時代遅れとなる運命。
しかしそうと飲み込んだうえで、彼はあくまで戦い続けるし、だからこそそれを許容してくれる敵対企業に移ったというわけ。
そこにティーチャという男のおもしろさがあるのだな。
強さとも言うのか。
そして、そんな彼との対決にこだわる草薙がいて、と。
できれば、三部作ぐらいで観てみたかった。
深夜、フジテレビの地上波でエアレースなるプロペラ機のスピード競技が放映されていた。
河上に立てられた巨大なパイロンを指定された技で切り抜け、宙返りで折り返す。
本末転倒をかませば、さながらラジコンみたいだった。
10Gをこえる過酷なレースだが、驚くことにパイロットは、みなオッサンばっか。
ふとティーチャを連想してしまったよ。
☾☀闇生☆☽
あのね、あいかわらず実写にあこがれているところなんかが目立ってて、それはそれでツッコミどころではあると思うのですよ。
宮崎駿が、アニメならではの印象的リアルを追及したのと対照的にね。
草薙の声がどーもしっくりいかんぞ、とかいろいろあるが。
けれど、まあ、それはそれとして。
観客に媚びないのが、押井。
そうそう、最近観た『ポニョ』も『ノーカントリー』も、そしてこの『スカイクロラ』も、ケータイのない設定だなぁ。