壁の言の葉

unlucky hero your key


 いち選手の不祥事を理由として、チーム全体の高校野球への出場が左右されるのは、どうかと。
 そういう問題がありましたが。
 なんであれ、忘れてはならないことがあります。
 学生生活というのは社会生活のシュミレーション期間であるということ。
 高校生ということは、自動車の運転でいえば、本免まえだ。
 どころか、仮免もまだの自動車学校である。
 出場の是非は、どちらにせよ、それを念頭に考えるべきでしょう。


 とかく固い連帯責任は、古臭い因習のように切り捨てられるご時世です。
 むろん、ガチガチでは息苦しくてかなわない。
 んが、完全にそれがないのも、ちとさびしいもので。


「秘書がやったことなので」


 政治家のそんな常套句が、ギャグにまでなった時代もあったのだし。
 昨今でも偽装問題で、うんざりするほど見せられたじゃないですか。
 あんな大人にしないためにもね。
 ところで、
 はばかりながらあたしゃエロDVD屋ですが、商売ともなると、そういう方便は通用しないのだ。
 バイトが勤務時間外になんかやらかしたとしたら、責任があろうがなかろうが、店に対するイメージダウンはつきまとうわけで。
 少なくとも、胸を張っていけしゃあしゃあとは営業できない。
 悪くすれば数字にひびいて、社員の生活がおびやかされる。
 むろんその家族も。


 たとえばこんなお客さんもおられる。
 飲食店の厨房を任されている。
 そして、性的趣向はスカトロだ。
 別にそれを恥じてはおられない。
 けれど、勤務先の近所のDVD屋では、絶対にそれを購入しないという。
 言うまでもなく、合法であるのに。
 おっしゃるに、やはりそのイメージだと。
 みょうな噂でもたったら、と。
 よりによって飲食店だし、と。
 その厨房の清潔なイメージにひびくと。
 とまあ、プライベートのことでも、社会ではチームに作用するのである。
 そこに理屈は通用しない。


 話を戻す。
 この件を理由として出場ができなくなったとしたら、チームは、そのいち個人を恨むだろう。
 そんな声も聞こえた。
 けど、そこなんだよ。
 そここそが教育のしどころなんじゃないんですか。
「罪を憎んで人を憎まず」
 とかなんとか、教育者なんだから、先人の知恵くらい山ほど持ってるはずだ。
 言葉と態度を駆使してさ。
 そりゃあ、チームの面々は悔しいだろう。
 けれど出場して、優勝して、その後プロになったはいいが、怪我して、戦力外通告受けて、落ちぶれてゴロツキになりさがるような奴だっているわけで。
 プロになりました。けど、人間としてサイテーでした、では洒落にもならない。
 人生、挫折はつきものなのだし。
 それから考えたら、かけがえのないシュミレーションのチャンスでもあるわけだ。
 ましてや、選手のほとんどがプロではなく、社会の一般人になるのだから。
 ということは、高校野球は、野球専門職人を養成するものではない、と。
 それを可哀そうのひとことで片付けてはいかんのではと、おもった。






 つらつら。


 ☾☀闇生☆☽


 責任の連帯には縛りという一面がある。
 しかし、反面、それがあってこその、目標を達成したときの喜びというものもあります。
 どちらか一面だけを得ようとするのも、都合のいい話かもしれません。