壁の言の葉

unlucky hero your key


「この太陽、もうやめてって感じ」

 
 真昼の商店街。
 すれ違いざまにそんな声を耳にした。
 自転車で行き来する女性たちは、みなさん日焼けを警戒して、腕に袖をつけてます。
 着脱式の。
 まるで時代劇に出てくる旅人の、手甲(てっこう)みたいな。
 加えて、サンバイザーの鍔(つば)がでかいやつだ。あれ、なんて言うんすか。
 お面みたいにして。
 でかいグラサンにあの鍔でもって顔だってガードだ。
 完全武装だ。
 さながら鎧をつけた、中世の騎士である。
 最初みたときゃ、怖かった。
 その上、ものすごい勢いでママチャリを飛ばすんだから。
 ぎゅいん、ぎゅいん、路地を行くよ。
 きっとウィリーだって、ジャンプだってかますはずさ。


 あれも日本ならではのものなのでしょうか。
 ロスやハワイの現地人は、ああいうのするのかな。
 手甲。
 中東の砂漠地帯ならば、強烈な日差しに加えて、乾燥と砂埃がありますから。
 ブルカをすっぽりかぶっちゃう。
 実はあれ、実用的であったりもするのですな。


 などと、つらつら。


 とまあ、
 野暮用で部屋を出たのだ。
 そんな夏のご様子を観察しつつ、脳内でははっぴいえんどの『夏なんです』がエンドレスである。
 ぎんぎんぎらのー♪とね。
 せっかくなので、近所のディスク・ユニオンに立ち寄った。
 ゲットしたのは三点。


 VAN HALENの『戒厳令』(FAIR WARNING)。
 Eelsの『electro-shock blues』。
 それと、石川浩司の『おいしいうそがいっぱい』


 この時代、海外のダウンロードを利用すれば、音楽は信じられないくらいに安く手に入る。
 しかも、合法的に。
 んなこた知っているのだが。
 あたしゃ頑固にパッケージ買いである。
 しかも中古屋もよく利用する。
 いわずもがな、それは日本のショップであるからして、現金は我が国に落ちるのである。
 えへん。
 で、
 すまん。
 リサイクルな男で、すまん。
 なのにリサイクルされずに、すまん。


 『戒厳令』は高校時代にアナログ盤で聴き倒した。
 そのせいで、CDで買い直すのをためらい続けて、今に至る。
 でもやっぱ全盛期は持っておかんと。
 それに、このなんつーの。この時代のエディのギターのとんがり具合さ。
 エッジが効いてる、とはすでに死語か。
 いまのエディにはきっと出せない、まばゆいばかりのとげとげしさである。
 マイケルのベースもちゃんと唸っているし。


 Eelsのこれは、ファーストアルバムで。
 当時、同僚に借りてさんざん聴いていた。
 だもんだから、つい購入はその次のアルバムからになってしまって、これまた今に至ると。


 石川氏のは、
 中古屋で出くわすほど流通しているはずのないもので。
 それに出くわしちゃったんだから、しょーがない。
 でしょ?
 出会っちゃったんだからさ。
 もう、恋するしかないわけだ。
 これから聴こうかと思うのだが、すごいよ。
 なにがって、
 ライナーの歌詞を見るとさ、一曲目の一行目からしてこうだもの。


 チンポしおれて秋の風


 どうだ。
 どうだもこうだもないが。
 書けないよ、なかなか。
 サビなんざ、無敵よ。


 チンポ悲しや 悲しやチンポ


 ほんとは全部掲載したいくらいのすごさなのだが。
 自主規制。


 ほーしーつくつくのー♪


 と、
 帰りかけて、思い立った。
 この界隈はまだ田畑が少なくなく。
 農家は、家の前に屋根付きの縁台のようなのを用意して、その日とれた野菜をそこで即売している。
 よく田舎で見かけるでしょ。
 大概どこも無人で、料金をいれる空き缶が添えてあったりして。
 説明も、手書きポップも無く、
「100円」
 それだけ。
 道行く人の良心に支えられているのである。
 そういうスポットを二三回れば、けっこうな量の野菜が手に入るのだ。
 汗かきついでに、そうすることに決めた。
 エコバッグ片手に近所をぐるりと回って。
 茄子三本と、別の場所で同じく茄子六本。
 さやえんどう一つかみと、ネギ四本、小粒のジャガイモ十五個ぐらい、それと白桃ふたつ。
 桃はさすがに三百円だったが、あとはすべて百円だ。
 スーパーで買うよりは、よっぽど経済的かと。


 でだ、
 ポニョはどうしたと。
 観に行かんのかと。
 結論から言うと、もうちょっとあとだな。
 今ね、コーマック・マッカーシーという作家の小説『ザ・ロード』というのが面白くて。
 何ごとかが起きて、人類の絶滅の危機を迎えた地球。
 世界の終末である。
 その何ごとかは、いまのところ説明されない。
 けれど、ひょっとしたら核か、なにか。
 主人公は父と、その息子。
 死の星と化したアメリカ大陸を、ひたすら南を目指して歩いていく物語である。
 時に、生き残ったものたちに遭遇するが、略奪、殺人、レイプ、そして人食い、と生きるためにそれぞれが暴徒と化して敵対。
 疑心暗鬼に陥っている。
 子は、アメリカが栄えていた頃を知らず。
 朽ち果てた自販機の中から見つけたコーラが、何なのであるかを知らない。
 植物も枯れ果てて、町を見つけるたびに、廃墟から缶詰などの食料を漁る毎日。
 太陽も、無い。


 久しぶりにおもしろい小説に出会えた気がする。
 スティーヴン・キングの中編『霧』を連想した。
 電気もガスも水道も、むろんケータイも無い。
 周囲には人食いがはびこるが、父は子のために、それだけは絶対にしないと約束するのだ。
 ピューリッツァ賞を受賞し、なおかつ恐ろしいほど売れているというから、米国文学もなかなかかもしれない。
 ちなみに映画『ノー・カントリー』は、この作家の原作による。


 行けども行けども灰にまみれた死の風景。
 澄んだ水を手に入れたときの喜び。
 そういう世界からふと現実に帰還すると、「もうやめて」な日差しも、無人露店の茄子も、音楽も、このうえなくありがたいわけで。








 もんもんもこもこのー♪





 ☾☀闇生☆☽


 冷えた桃、食おうっと。