目が覚めたら、まっぱ。
すっぽんぽんであった。
のっけから、えろてぃっくですまん。
それ以上に、おっさんですまん。
酔いつぶれていたのである。
されど早起き。
というか、それがゆえに早起き。
ならば、それを活かした、イカした野郎になってしまえと。
まっぱが生んだペナルティーを、挽回してしまおうと。
うん、目論んだわけである。
さて、ならばと洗たくにとりかかりますわな。
ひとりもんですから。
ジーパンだって風呂場でじゃかじゃか洗うんだ。
終えて、干して、と。
いつもなら筋トレやらストレッチをやらかすところではあるのだが、ひとまず飯にしようかと。
うどんを茹でて、それに野菜をいろいろダンクして。
ふと見ると、レトルトのカレーがひとつ。
日々の自炊においてけぼりを食い続けておるではないの。
こっちゃおいで。
やさしさ所以のアドリヴで、カレーうどんに変更なり。
めんつゆで、味を微調整。
なんか具が多すぎてどんぶりのなかは、なんだろう、酒池肉林。
白麺のふてぶてしいまでのムチムチ感が、まっぱの集団の、くんずほぐれつに見えて仕方がない。
いただきます。
食しながら、
さて、今日こそはポニョを観ておこうかと、企む。
企もうかと、企む。
ストーリーやメッセージを引っ込めて、あふれんばかりに紡いでみせたイメージ集。
そんな評価が、あっちゃこっちゃから聞こえてくる。
それは『ハウルの動く城』でも感じた。
戦争の事情やら目的の説明をすっとばした、うすっぺらい反戦は、あの映画では余計だった。
光っていたのは、巨匠のイマジネーション。
それが歳をかさねるほどに冴え、豊かになっていくのだから、おっとろしいではあーりませんか。
黒澤明の『夢』は、その極致でしょう。
あれは巨匠のイメージ画集。絵本として愉しむものであって、エンターテイメントを期待して観るものではない。
黒澤自身も、はなっからそういう作り方をしているし。
けれど、
宮崎駿は、どうしても最後のところでテーマの提示に、義務を感じてしまうのではないかと。
そういう性分だろうし。
ポニョでは、どれくらいそこのところをふっ切ったのか。
見どこはそこなのである。実は。
「わけわかんなーい」
そんな感想もあったそうだが、そもそもだ、わけわかろうとして観るものではないのである。
感じるの。
てか、
あんな年寄りに、計算しつくされたごりごりのエンターテイメントを期待するのも、酷というものでしょ。
野暮とも言えるでしょ。
押井守が『ぴあ』で発言していたのが興味深くて。
かつての宮崎アニメのテーマだとか、構造の部分は、高畑勲や鈴木敏夫によるツッコミでもって、熟成されていたフシがあると。
うん。
ともかく、
歯を磨きつつ、いつものようにニュースをチェック。
しはじめたところで、気がついた。
今日は何日。
おいおい、今日はまだ仕事。
我が休日は明日ではないかと。
のおぉぉぉぉおんっ。
なにをのんきに。
日頃家を出る時間の五分前である。
もおおお。
飯くったばっかの、
それも熱々のカレーうどんを貪ったばっかの、とぅるんとぅるん汗だくボディで、満員電車に乗るのは正直気が引けるのだが。
んなこた言ってられない。
罰金だってバカになんないんだ。
なにより、ダサくて、ひじょーにひじょーに悔しくなるし。
往々にして、
イカしてみせようという下心が、日々の野暮を生んでいるのだよ。
☾☀闇生☆☽