壁の言の葉

unlucky hero your key

 数年前までは、毎朝五時に起床していた。
 前の晩に炊飯ジャーをセットして、十一時か、遅くとも零時には布団にもぐったものである。
 そして必ず目覚まし時計が鳴る数秒前に、なぜか目が覚めた。
 そこから七時までの二時間、ワープロに向かってグにもつかない文章を書くのである。
 いつの頃からか頭のなかにすみついた少女が、消えてくれない。
 わたしを生め。
 しつこくそうせっついて来るので、書かずにはおれなくなったのである。
 とはいえこちとら、へたっぴだ。
 胎教も知らなければ、産婆もいない。
 案の定、生まれた子はまぎれもない未熟児であった。


 ちゃんと生め。


 すまん。
 そんなばちあたりを続けているうちに、あるときママは、にっちもさっちもいかなくなってしまったの。
 書いたものが世間的に受け入れてもらえないのは、仕方がない。
 力量不足である。
 才能の欠如でもあろう。
 が、
 身近に読み手もなく、感想も反応もない状況がつづくと、なんだか独房の壁に妄想を書き連ねているような、そんな底無しの気持ちに堕ちていってしまうのである。
 批判すらもらえないとは。
 息苦しい。
 ならば外の空気を吸えと。
 そこで、とある年の暮れ。
 星のまたたく日の出前だ。白い息を吐きながら、遮二無二土手を歩きはじめたのである。
 思えば、上京したばかりのころも、眠れなくなるとよく歩いた。
 深夜の歌舞伎町を駆けるように。しかも朝までだ。
 どうだ。
 これは掛け値なしに、怪しい。
 なおかつベテランだから、やんなっちゃうんだ。


 ともあれ、
 歩き始めるとわかるのだが、深夜でもけっこういるもので。そんな孤独をたしなむウォーカーが。
 近くの橋までの往復一時間半。
 折り返すとちょうど日の出を迎えた。
 復路はご来光を目指すのである。
 意味もなく顔がほころんだ。


 定休には日中に同じコースを辿った。
 その、折り返しの目印としていた橋。
 これがいつの頃からか車両通行止めとなる。
 老朽化のためにあたらしく架け替えられることになって、これまで平行して施工中だったのがついに開通したのである。
 しかし、古い橋はすぐには取り壊されず、歩行者や自転車が利用していた。
 二車線ぶんの道幅があるために、スケボーやら、ローラーブレードやら、はたまたダンスやら。若者のたまり場にもなりかけていたが、ロケーション的にはちょいと寂しい。
 特に真夏の炎天下には陽射しをさえぎるものがなく、アスファルトの照り返しも烈しいわけで、渡る者はみな足早に去っていく。
 ところがだ、
 そんな橋上でいつも黙々とドラムを練習している人が、いた。
 バンドをやったことのある人ならわかると思うが、ドラムばかりは、防音の環境が不可欠で。その練習場の獲得には、骨をおるものである。
 なんせ生音がでかい。
 田舎なら、数キロ先までその音が届く。
 古来アフリカでは通信の手段として使われてきたというから、性質としてそういうものなのだ。
 で、
 個人練習のためにいちいちカネを出してスタジオを借りるのもなんだし。
 最近ならエレクトリック・ドラムでもいいものがあるが、本格的なものは高価だし、なによりそれは生を知ってこそのしろもの。
 そこへいくとこの人は、考えたものである。
 使われなくなった橋の上。
 平行している現役の橋は交通量が多いから、騒音のうえではお互いさまである。
 古い毛布を、タイコの中には詰め、ハイハットには巻いてミュート(防音)にしていた。
 それでもって、日がな一日ぽこぽこぽこぽこやっているのだ。
 表情は、見えない。
 つばの広い帽子の上からタオルを巻いて、さながらゴルフ場のキャディーさんのよう。
 シャツは長袖。ようするに完全防備の日焼け対策。
 とくれば、うん。
 その肢体、どう見ても女のようであった。
 いったいどうやってドラムセットを運んでいるのかわからないが、その労力もふくめて、とてものこと伊達や酔狂でできるものじゃない。
 そのうえで、延々と基本的なリズムキープだけを続けていた。

 
 どんどんたんったどんどんたん、
  どんどんたんったどんどんたん、

 
 なによりそこに好感がもてた。
 秋も冬も、その姿を見かけた。
 顔をふせた、その一心不乱のひたむきさは、それだけで尊敬に値する。
 知らずにそのリズムに、こちらの歩調が同期してしまう。


 そうしているうちに不肖闇生、コースの景色に飽きてきて。気分転換に街道沿いのコースをとりはじめた。
 いや、すまん。
 嘘をついた。
 実は、二度ばかり、蛇に出くわしたのだ。
 土手の尾根を走るサイクリングコース。それが我がウォーキングの現場なのだが、そこを太った蛇が一匹、ふてぶてしくも横断していたのだ。
 というか、寝てたのか。
 近づいても逃げねえんだもの。
 そんなことが続いたので、つい、コースをかえてしまった。
 やがて夏が終わり、もう出ねえだろうと土手のコースにもどってみたのだが。
 あにはからんや、橋がない。
 蛇もいなけりゃ、ドラマーもいない。
 ススキの河川敷を、武骨な工事車両が行き来して、荒涼としている。
 けれど、
 あそこまで根性の入った女である。
 きっと今もどこかで、


 わたしを生め。


 自分なりのビートを生み出そうしているに違いなく。
 それはもう違いなく。
 環境に起こったにっちもさっちもを、逆手にとっているはずなのであーる。
 おそらくは今日もどこかで、


 どんどんたんったどんどんたん。



 ☾☀闇生☆☽



 ちゃんと生め。