「全員一斉送信でメールをくれる そのメンバーの中にまだ入っていることが、少し嬉しかった」
そうでしょう。
あたしにゃそれもないよ。
おはずかしいことながら。
一斉送信も、かろうじて『自発的』な行為ではあるのだし。
ならば一斉送信あつかいの、そんな『ついで風情』にも、ついでなりの生き様が見つけられたはずだ。
てか、見つけろ。
意地でも。
さて、
いまや自由の象徴とされる街でのこの事件。
自由だの平等だのといった聞こえのいいお題目ってのは、根っこを張っていてこそポジティヴに作用するものだ。
ところが、
孤独の底の根無し草にとってそれは、暴走の狼煙(のろし)にほかならない。
『自由』は『身勝手』に化け。
『平等』は『なんで俺だけが』と、孤立を際立たせる。
その根を意識している、していないにかかわらず。
またそれがときに足枷と感じることがあったとしても。
根は往々にしてストッパーにもなってくれ、またエネルギーの吸入口にもなる。
はて、ではその根はなにを吸い上げている。
吸い上げた燃料の正体はなんだ。
人間ってのは考える動物ですわな。
当然のことながら、言葉で。
あたしの場合は日本の言葉で。
言葉は、
情報は、
つまりは意味は、
てことはイメージにしろ、
触感にしろ、
音にしろ、
直感にしろ、
映像(光)にしろ、
はたまた銀河のかなたの星のまたたきも、
いや、人間まるごとでさえもだ、
未来にしか届かない。
どんなに頑張っても、過去には届かない。
こんなブログのへっぽこ文でも、読んでいるあなたは、あたしより未来。
どもこんちは。
闇生でござるよ。
過去からのみ、それは届く。
ようするに、そういうこった。
だれもが今現在にひとりぼっちだ。
ならば、根っこが吸い上げる活力は過去そのものだろう。
わっしょい、わっしょい、
みんなで未来へ未来へと、大切にリレーしてきた、何か。
それをまるごと吸い上げて、養分を取捨選択してみっしりと葉を繁らせ、どーにか未来に花を咲かせようと。
ちっちゃくてもいいんだ、それは。
決して、世界でたったひとつの花なんか目指すな。
ありふれてて、そしてそれがゆえにしっかりと咲くのを、またリレーするのだ。
地深くに根を張ってこそ、花よ。
自由の名の下に、根まで切るな。
☾☀闇生☆☽