第何次目かのお笑いブーム。
いまも続いていることになっているのだろうか。
どうも、あたしが歳をくったからなのか、少しさめた目で見てしまうことが多いのですよ。
『お笑い』とはいえ、もてはやされているもののほとんどは『ギャグ』であって。
『キャラ』であって。
それ自体を、前後の流れと切り離してみてみれば、なんてことはない。
ようは「いないいないばぁ」の延長線だ。
インパクト頼みである。
一例をあげる。
大昔、ビートたけしが組んでいた漫才コンビ『ツービート』。
そこでは『コマネチ』なるギャグが生まれて、大流行となった。
いまでもたけしの物まねとして使われることが多い。
あれは、当時の世界的体操選手で、白い妖精と謳われたルーマニアのコマネチのコスチュームに依拠している。
そのヒップがはみだすほどのライン(V)が、当時の野郎どもにとってはあまりに刺激的だったのだ。
ために、あれが生まれたわけで。
決して小学生がTバック着エロをやらかす現代に通じる感覚ではなーい。
その時代の空気と、
若きたけしの毒、
そして漫才の流れを取り除いてみてみれば、成立しないはず。
たかだか、たけしのマネの記号に過ぎなくなっている。
その流れを知った人にのみ通じる、笑いへのショートカットだ。
そのギャグに『実』は、すでにない。
ギャグを説明するこの寒さ。
どうかひとつ。ゆるされよ。
そこで気になるのが、昨今増えはじめたネタ番組。
ネタとは名ばかりで、その実、ギャグ大会に近いアレである。
キャラ大会と言った方がいいのか。
わずかな時間で『すぐ笑える』。それをうたい文句にしているほどで。
たしかに流行するギャグやキャラは、時代を反映するから興味深い。
なにを隠そう先日帰省したおり、母にあの、いまさら口にするのも憚れるギャグをかまされて、困惑した闇生なのであーる。
例のパンツ一丁の。
やけくそになって地面を踏みつけ、
殴るポーズで無責任を主張するアレだ。
かまされて、なんか、あ、老人にはいい運動になるのだなと。
リハビリのメニューにどうかと。
念のためことわっておくが、母はべつにパンツ一丁でそれをやらかしたのではない。
そこは、くれぐれも。
くれぐれもだ。
だから、
すべてを否定しようとは思わんさ。
んが、
それをあからさまにねらったギャグやらキャラは、惨憺たるものであって。
さながら「見せる暴力」とまで思う。
芸人にしてみれば、名を売るきっかけにでもなればいいと。
とりあえず買っておけ、の宝くじ。
ブラインド・パンチみたいなものなのだろうが。
当たればでかいし、名刺にもなるし。
そこへ行くと、松本人志。
昔から自分に固有のギャグが定着してしまうのを避けてきた。
定着しそうになると、投げ出した。
紳介もそうだな。
てか、残る人たちはみんなそうだ。
フリートークでのしてきた実力派たちですから、当然ですね。
別にお笑い批判をやろうってんじゃないのだ。
気になる、の核は、『てっとり早く笑える』を持てはやす人々の方。
所詮は『タダ』のテレビ(地上波)を中心にしたブームだから、そうなるのも無理はないのかもしれない。
でもなぁ。
笑うために、楽しようってのもなぁ。
笑えないなぁ。
『泣ける』に対しても、そんなアンテナが張られているし。
それはレンタルビデオ屋が定着したころからだったと思う。
いったい何度訊かれたことか。
「おにーさん、なんか泣けるのなーい?」
小説も、いまや二言目には「読みやすい」と。
たかだか自分程度の読解力を、そこまで完全なものとして見なしてないからなぁ。あたしゃ。
みんなお任せでマグロになれるソープの客じゃないんだから。
とまあ、
えらそーにのたまうあたしゃエロDVD屋でござる。
不覚にもだ。
この業界では、あれよあれよという間に『電マ』が定着してしまった。
最初はそりゃインパクトあったさ。
実際、電マ本体も飛ぶように売れるから、実戦装備されておられる紳士淑女も、きっと少なくないだろうと。
電マとTENGAが少子化に拍車をかけているのが、この日本の現状である。
んなわきゃない。
けれど、こうまで市民権を得ると、お客さんにとっても食傷気味でね。
たぶんそこに作り手の『楽に○○』式の怠惰が、あらわれているからなのかと。
エレベーターで富士山に登ってもねえ、っていう。
元服で切腹の作法を教わった時代には、練炭や硫化水素なんていう発想もなかったろうに。
これも『楽に』出発の死生観でしょう。
決して『楽に』はいかない諸々に愉しみを見出す。
そこに発動するのが、活力ってもんでしょーがよ。
しょーがよ、てか。
☾☀闇生☆☽
追伸。
キャラブームはかつてもあったこと。
かつてイカ天ブームなるものがあった。
もととなった番組名『イカすバンド天国』の略で。
それはアマチュアバンドの勝ち抜き大会だった。
それがいつからか単なるキャラ大会になってしまった。
不思議ちゃんやら、特殊メイクやら、気ぐるみやら。
インパクト勝負だ。
いろいろ出てきたし、それらを視聴者ももてはやした。
喧嘩の野次馬「もっとやれ」式に。
けれど、結局残ったのは本物だけ。
ブランキーとか。
キャラブームの発端となった『たま』も、実際は音楽的に本物だったことが、評論家竹中労の著で証明されているわけで。
ま、聴けばわかる。
今のお笑いは、あのブームと似ていると思う。
さて、
誰が残るのだろうか。