胸のすくような豪雨。屋根をうつ、夜半。
その勢いが強弱をつけるたびに、何度も目が覚めた。
ダイヤの乱れを見越して、はやめに家を出る。
そのぶん日課の筋トレをサボったのである。
案の定、通勤電車は大混雑で。
にもかかわらずリュックを背負って、ケータイに夢中になっている男がひとり、乗客の乗り降りをせき止めており。
それはそれは聞こえよがしの舌打ちで、踏ん張って、仁王立ちなのであり。
孤軍奮闘しておられるのである。
なにをそこまでして死守するかと、あたしゃちゃっかりそのケータイの画面を覗き込んだのだが。
RPG。
さもありなん。
勇者であった。
畏れ多くも。
大剣を佩いて、跳梁跋扈をかます悪党どもを、魑魅魍魎どまんなかのモンスターを、ばったばったと薙ぎ倒しておられるのであった。満員電車で。周囲を威嚇しながら。
繰り返す。彼は、
勇者であった。
誰しもが、少しでもスペースをつめようと、読書もケータイも遠慮しあっている真っ只中で、彼は、つまりは勇者は、液晶の大草原を死守しているのだ。
そんなこんなで、どんなこんなか、ともかくも電車は終点につくわけだ。勇者もろとも。
どどどどっ、と堰を切って乗客が溢れだす。
と同時にどこからか男の声が上がる。
「だれか、駅員さんを呼んできてくださいっ」
何ごとかと振り返るが、人の海に埋もれて現場はみえない。
女の人の嗚咽が聞こえたような気がするので、ひょっとすれば痴漢か。
されど勇者は、痴漢退治まではしてくれず…。
朝っぱらから嫌な気分が続く。
あたしなんざ職業がら、痴漢疑惑なんてものに巻き込まれたら一発レッドの身分である。
だから、そういうのに人一倍神経をとがらせてしまう。
なんせエロ屋だ。
DVD屋である。
職業を言ったところで取調べでは、
「ははん、すきが高じてつい、か」
なんて、含み笑いをされるのがオチなのだ。
「さては、おまえの店は痴漢モノ専門店だな」
と。
「痴漢潮吹き厳選集2もあんだろ」
と。
てか、あれはもう痴漢というよりレイプだし。
「そんなんばっかか」
と。
ばっかか、と言われたところで、まじめにウチの店の傾向を説いたところでなんになる。
「んなのよりもっとすごいのありますよ」
なんて弁解では、信憑性が鼻毛の実ほどもないではないか。ましてや、
「プレイというよりもはや、オペみたいの」
火のないところに煙は立たず。ばかりか火に油である。
よっしゃ、こうなりゃ自棄だ。
と、電車のなかで聴いていたi-Podを取り出しますわな。
ごらんよ、ほらプレイリスト『美奈子』が再生中だ。
それを朝からエンドレスで聴き続けているぞと。
言わずもがな、あたしが選んだ吉田美奈子の傑作集だ。
ベスト・オブ・姐貴だぞと。
ようするに『歌う』とはこういうことである。
これを聴きながらだ、そんなちまちましたせこいエロをやらかそうなんて、思えますかねと。
どうですかと。
よっしゃ、百歩ゆずろう。
いやいや、この際だ、百万歩ゆずりにゆずって日本海へうしろ向きに落ちませう。
姐さんのを聴きながらそんなことしたら、なにより姐さんにしばかれるね。
なんならしばかれに行くね。あたしゃ。
あのファルセットと地声の境界線の、情念青々とした絶妙な色気でもって、罵られるね。
罵られたいね。いっそ。
しばかれて、罵られて、
「結局ヘンタイじゃねえかっ」
とな。
妄想しているうちに、店についたのである。
あたしゃケータイ勇者にはなれぬわい。
☾☀闇生☆☽
基本的に、ティンパンアレー系の面々が参加したアルバムが、好物です。
んが、近作では『EXTREME BEAUTY』収録の「星の海」。
絶唱なり。
ジャズ的なアプローチとしては『PONTABOX meets Yoshida Minako』。
誰も隠しゃしないが、隠れた名盤かと。