秀吉の小田原攻めで、唯一落ちなかった城があったのだそうだ。
武州、忍(おし)城。
名前からして、頑張りそうである。
北条方、成田家の居城で、頭首は氏長という。
その氏長は、北条との盟約を守るため、合戦となれば小田原城に詰めねばならない。
その間、叔父泰季(やすすえ)が城代に据えられるが、不運にも戦を目前にして病に倒れてしまうのだな。
よって、その息子(頭首にとっての従兄弟)長親が、急遽、城代になるわけだが。
問題はこのピンチヒッター長親だ。
何をやってもダメなのだ。
図体ばかりは巨漢だが、いかんせんのろまで、ぶきっちょで、表情までにぶい。
愚鈍。
であるからして臣下はもちろん、領民からも「のぼう様」と呼ばれるほどである。
「でくのぼう」の「のぼう」と。
けれども、それは親しみをこめてのことであって、決して侮蔑ゆえのものではなかった。
とどのつまりこの男、人気があるのだ。
本作は、そんな「のぼう様」を担ぎ上げての、成田家籠城戦を描いているのである。
寄せ手は石田三成ひきいる軍勢二万。
受ける忍城は百姓を含めたわずか二千。
緒戦で不覚をとった三成は、圧倒的物量を武器に、壮大な水攻めを敢行するのだが…。
二〇〇三年。本作のもとになった脚本で、著者和田竜は城戸賞の新人賞を受賞とある。
それをうけての原作者本人による小説化だという。
そのせいだろうか。この、ひどく淡白な印象は。
つまり、脚本的かと。
心理描写はきわめて軽く、各キャラクターの色分けも、デフォルメされて明確である。
まるでゲームのキャラのように。
そのあたりを、昨今もてはやされる『読みやすさ』と受けとるか。
薄さ、と見るか。
好みは分かれるところだと思う。
あたくし的には、各人のナマな人間の魅力を、もっと多面的に、リアルに感じたかったな。
気になったのは、士農工商の線引きだ。
以下、疑問のままにつぶやく。
『士』と『農』とが厳密に隔てられるのは、江戸時代になってからであると、あたしゃそう解釈していた。
戦国では、畑仕事の最中でもあぜ道に槍を突き立てて、城の陣鉦がなれば、そのまま馳せ参じられるようにしていたと。
そうして、おらが畑(領地)を命がけで守った。
それが『一所懸命』の由来であり、鎌倉武士の気風というものであーる。
この忍城の面々も、そんな関東侍の末裔でもあるわけで。
戦国であればなおのこと、士農の区分けはそれほど厳格ではないだろうし、秀吉の刀狩り以前ならば、当然武装もしていたことだろうと思うのだが。
どうだろう。
一般に兵農分離は信長がはじめた、と言われている。
誰が言ったかしらないが、きっとどこかで言っている。
むろん異論もある。
ともかく、そんなプロの軍隊をもつうまみは、収穫期にも出陣できること。それに尽きるわけで。
なんせ彼らは田植えも稲刈りもしなくていいんだから。
んが、
そんな軍隊をささえるには、彼らを食わせる豊富な財力が要るはずだ。
とても年貢の巻上げだけではまかなえないと思うのだが…。
この、専業の兵士を召し抱えるという『贅沢』は、たとえばこの田舎城の領内にまでいきわたっていたのか、どうか。
信長にとっての尾張のように、商業国であってこそのものではなかったのか。
作品の舞台は、戦国。
秀吉による天下統一前夜の小田原攻めである。
はて、この時点で兵農分離はどれほど広まっていたのか。
あるいは広まっていなかったのか。
この小城にだ。
そこが、わからんのよ。
武士と農民の距離、というか立ち位置。
そのあたりが小説的に表現されていると、もっと楽しめたのではないかなと。
あたしゃ思っちゃったのだな。
なぜかというと、
たとえば黒澤明の名作『七人の侍』。
これも戦国だ。
であるにもかかわらず農民は竹槍ひとつ扱えず、
よって自衛せず、
偉ぶる浪人に土下座し、
怯え、
そのくせなにかあると「お侍様ぁ」とすがりつき、落ち武者狩りの略奪品をひた隠す。
んが、
現実には、そんなはずはなかっただろうと思う。
これは士農工商が確立したあとの構図で。戦国のそれではない。
野盗が勝手放題に荒らしまくって、それを領主が野放しにしていた時代ならば、民には自衛が身についていただろうし、侍を敬いもしなかっただろう。
土下座なんて、とてもとても。
それでもあれは名作なのだ。
しかし、
それゆえにそこで作られた士農の構図は、浸透してしまったわけでもあり。
まずそこから抜け出さないかぎり、活きた戦国は描けないし、そこが先人たちの残してくれた宿題なのではと、思う。
戦国と江戸、両時代の違いですな。
『のぼう〜』では、双方のくだけた距離感をあらわしてはいるのだけれど。
ううむ、どうも釈然としない。
ともあれだ、
忍城戦というものを、読み物として知ることができたのは、なによりの収穫。
そうですか。
そうだったんですか。
知らなかったっす。
☾☀闇生☆☽