というわけで、
村上ポンタ秀一の『Live! Rhythm Designer』を観たのである。
良かった。うん。
彼のソロ・アルバム『Rhythm Designer』のライヴ版ということである。
ポンタの持つイメージを佐藤Fisher五魚が打ち込みで具体的な音にした。
その絵に、ポンタがドラムで彩色していくという趣向である。
場所は、青山円形劇場。
ステージ中央ではドラムセットが四つ、さながら玄武、白虎、朱雀、青竜のごとく鼻を突き合わせている。
それをぐるりと取り囲む観客たち。
演者はポンタ、それと打ち込みのオケのみである。
そう聞くと、単調におもわれるかも知れない。
さてはドラマー志望者への特別セミナーかと。
マニアの会かと。
んが、さにあらず。
曲ごとにそれぞれチューニングの異なるセットをかえ、スティックをかえ、ノリをかえては曲にグラデーションをつけていくポンタの妙技。
ん絶妙。
そのスリルったら、ないのだ。
これをマニアだけのものにしておくのは、あまりにもったいない。
もちろん、ドラマーのライヴならではの、グルーヴ感たっぷりのやつもある。
けれど、決して手数・足数を見せびらかすためだけの演奏ではないから、まるごと曲として楽しむことができた。
特典映像のインタビューにあったが、指揮者のようにとらえて欲しい、と。
ドラマーは曲全体を見渡しているのだから。
その証拠に、ここにタイコは要らない、と感じたところでは、彼はじっと止まってオケを聴き入っていたくらいなのだ。
基本的には全編インスト。
そこにファンクあり、
スカっぽいのあり、
ジャズもあり、
サンプリングのコラージュによるラップトップものあり(モノクロ映像が美っ)。
それらをごちゃっと炒めたのもあり。
とにかく、ジャンルを越えた曲想がゆたかで愉しいし、なによりそれへのポンタの味付けに唸る。
いちいち唸る。
かつてね、
「良いドラマーである条件は」
と訊かれて、ポンタはこう答えたんだ。
「スケベであること」
どーだ。
スケベなおっさんはフォルテシモだけではないのだ。
メゾフォルテも、ピアニッシモも駆使するのであーる。
でもって聴き手の琴線を思い描いて、いやらしくいやらしく加減するのであーる。
むしろドラムの優しいピアニッシモにこそ、演者のソウルが満ちているというもので。
とくればだ、
百戦錬磨のおっさんのスケベ・ソウルが、ただ力任せに叩くだけで満たされるはずがないではないか。
そう、奏でるのである、彼は。ドラムを。
か撫でる、のだ。
演奏中、彼の背後にスタッフの姿が見える。
持ち替えたスティックを揃えたりしているところを見ると、お弟子さん(ボーヤ)だろうか。
彼が師匠の演奏におもわず笑んだり、リズムをとったり、あるいは手元を凝視していたのが印象に残った。
あたしゃ古い人間でね。
先駆者をリスペクトする若者のその姿勢に、やられちゃうんだな、もお。
☾☀闇生☆☽
追伸。
剣豪は、決して対象を『見』すぎない。
つまりは、ピントをしぼって凝視しない。
全体を同時に『観』ているものである。
『観見二ツの見様、観の目つよく、見の目よわく見るべし』
宮本武蔵『五輪の書』兵法三十五箇条
(鎌田茂雄監修『五輪書』講談社学術文庫より)
武蔵がそうであったように、ドラマーは皆、ほら二刀流なのだし。
両足のさばきもまた、剣客のごとしだ。
そして、強いのほど、肩の力が抜けているもので。
見てごらん。
達人ポンタは、いつだってリラックスしている。