「俺らは、子供のころから腹へってんのが当たり前だったから」
以前に触れた元軍人さんのお言葉である。
ありがたく拝聴されたし。
戦時中は軍艦の厨房で包丁をふるっておられた。
故人で、闇生の前職場での会長さんだ。
自分は若いころから体型が変わらないと、そうおっしゃるので、その維持の秘訣を問うた。
その答えが、これだったのである。つづけて、
そこへいくとあなたがたは、満腹でいるのが当たり前でしょ。
耳が痛い。
現代では、満腹が平常時。
そして、ちょっとした空腹をさながら非常事態のごとく捉えがちで。
食事とは、その焦燥感の『凹』を埋め合わせるために摂り、んでもって、
「はあ、喰った、喰ったぁ」
と、ふくらんだ腹をなでて、しばしの愉悦に呆然とすることを指すと。
だもんだから、
『凹』は埋められ
『口』になる。どころか勢いあまってどろん、
『凸』に化けちまうのだ。
そこまでを入れて『飯』だという解釈で。
楊枝くわえて、げえっぷう、と。
それも毎日。三食ともがっつりとそうとしたがるんだな。
そこを突いてこのご老人は、
「人間、ちょっと腹が減っているくらいが当たり前なんだよ」
と。戦中、戦後はむろんのこと、飽食の時代も、しかも板前として生き抜いておられながら、そうおっしゃったのだ。
周囲で、ダイエットに失敗し続けている人をみるに、どうもこの『空腹』というものを恐怖しているような気がする。
最低限、次の食事までもてばいいのだし。
その次の食事は、そのまた次の食事までもてば良いはず。
とどのつまりがそういうことだ。
使った分と、使う分の補給タイム。
なのに、
「ふう、喰った、喰ったぁ」
これがやりたいんだな。あたしたちは。
ご満悦〜♪と。
んで、
一念発起していざダイエットとなると、この「ご満悦」思考の真逆を想定するから、どうしても極端なことをやりはじめる。
夕食はキャベツだけ、とか。
たとえそれで痩せたとしよう。
けれども、おいおい、それをそのあとも続けるのかと。
延々と。
ぞっとするでしょ。
運動でもそうだけれどね。
なんとかキャンプだ、なんちゃらマシーンだと。あれを一生やるつもりなんでしょうか。
肥満は、風邪とは違うのだ。
風邪ならば、とりあえずは完治するまでの集中治療でいい。
ようするに短距離走だ。
けれど、肥満は改善したあとも維持が要る。
てか、それこそが本番で、これには終わりがない。
さながら、ペース配分を意識したマラソンである。
でね、
そうなると、よっしゃ自炊で自己管理じゃ、となる。
なんか知らんが気合が入っちゃって、余計なものまでごっちゃりと買いだめすんだ。
それも例の『恐怖』がもとになっているもので。
足りなかったらどうしよう。
少ないレパートリーに飽きちゃったらどうしよう。
栄養のかたよりも避けなきゃだわ。
まずいのは嫌だし。
あれもこれも、それもどれも、あっちもこっちも、にっちもさっちも。
結局また毎食ご馳走にありつこうとしているのだ。
はしたないったらありゃしない。
そう、この恥じらいだ。
食欲にしろ、
性欲にしろ、
金銭欲にしろ、欲のつくところ、一葉のハーブの如き恥じらいをあしらってやろうじゃないかっ。
それでこそ、その満たされ具合が、引き立つというものではないのかっ。
ないのかっ、
とチカラ入っちゃいましたが。
毎日飽かずに食べられる、なんてことのない家庭の味。
平凡。
それが、いかに大切であったか。
この『なんてことない』ということに意味があったのだと思う。
んで、その基本があってこその、ご馳走だろう。
たまにだからこそ、ご馳走なのである。
だから平時の空腹の痛みには、
「おおお、脂肪が燃えてる、燃えてる」
と。
貯蔵タンクのを使っているぞ、と喜んでやるのがよろしいかと。
だなんて、
闇生は一時83kgまでいった。身長は173cm。
それを65kgまで戻して○年の経験から、以上のようにのたまって同僚をはげますことが多い。
しかしながら、失敗した人ほど耳をふさぐようで。
なぜなら、挫折の数だけダイエットに関する知識もふんだんに持っているわけで。
それでもって理論武装をかましやがんのだ。
身近な成功例より、通販だとか、新しいシステムに頼るんだな。
てか、すがる。
問題はそこなのだ。
成功するひとは、すがらないぞ。
自分のなかの問題だから。
10kg落としたいのなら、その痩せたあとの自分の生活サイクルをシュミレーションする。
今のその生活が、−10kgの人にとってふさわしい生活かどうか。
そして、そこにもっていけばいいのだ。
そうそう、いつのまにか痩せていた、という経験がある。
原付で事故って入院したことがあって。
16時間、一人で通し勤務した帰りだ。
雨の深夜で、視界がわるく、路上駐車のトラックのおしりに不覚にも突っ込んでしまった。
バイクは大破。
なのに、半月盤損傷だけで済んだのは不幸中の幸い。
救急車で運ばれて、一か月ちょっと病院食の厄介になったのだが。
そこでの食生活はこんな感じだった。
7時だったか。起床してすぐにパンと牛乳。
それにバナナがついたかな。
目覚めたばかりだから、正直、入らない。
んが、食うんだ。
すると、その満腹感で昼まで十分に持つ。
昼食をまえに、えっ、もう?と思うくらい。
でも、食う。
すると、またたくまに夕食だ。
日没のころ。
そのぶん夜は長いが、そういうものなのだと諦めているから、そういうものになってしまう。
そんな諦めも、ここぞとばかりに味方につけてしまうのだ。
退院したら10kg減っていた。
そのときはすぐにリバウンドしてしまったが。
運動もなしに、食って寝ているだけで痩せるのだなと。
そう実感できたのが、なによりの収穫で。
きっとあれこそが、身体が欲していた食のリズムだったのだろう。
それはそうとして、元軍人さんの言う、
『現代では満腹が平常時』
そう認識する我々。
にとっての平和。
という概念。
だとすれば、
やはり、その度合いをさぐることこそが、肝要かと。
「人間、ちょっと腹が減っているくらいが当たり前なんだよ」
☾☀闇生☆☽