雲があまりにきれいに散るので、ウォーキングの復路はジョギングにした。
平坦な一本道を行くことほどつまらないものはない。
脳は変化を貪るのだ。
ならば今日は、この風の融通無碍を喰らって走ればいい。
風が強い日、という曲がストリートスライダーズにあった。
実は彼らの音は、一枚ももっていない。
けれどこの曲だけは、プロモーション・ビデオが非常に印象的だったので、覚えている。
のどかで、どこまでもまっすぐな一本道。
東南アジアの、よく晴れたどこかの国で。
カメラはその田舎道をスローモーションで進んでいく。
まっすぐに、前方だけを見つめて。
集落を行くと土地の子供たちがカメラを覗いたり。戯れて追い抜いて行ったり。
それを見守る市場の女たちの笑みと、働く男たちの怪訝そうな視線。
それら過ぎていく、さまざまな顔。
やがて人影も尽き、道は田園をゆく。
その行く手に立ちはだかる男。
近づくにつれて、それがボーカルのハリーだとわかる。
彼はまるで待ち合わせをしていた友のように、カメラを、つまりは視聴者を見つめ返すのだ。
たしか全編ワンカットだったと思う。
ブログでシモネタをやらかしてみたのだが、文章とは正直なもので。
退屈で混乱している自分が丸出しになってしまった。
つまらん。
脳がスケルトン、とは何のことはない。不肖このわたくしのことであった。
ならば無理をせず、思ったことをそのままに書き記そう。となれば、日々の不満ばかりになってしまうわけで。
日ごと通勤電車のなかに満ちていく『鈍感力』とかね。
んじゃあ、とにもかくにも書く行為そのもので、自分を励ましたれと。
つむぎ出せと。
宿便、ひねり出せと。
先取りして二日分書いてはみたが、だからなんなんだと。
ここに風は、無い。
進退窮まった閉塞感は、そんなことでは少しも変わらないのであーる。
かつて『閉じ込められた境遇』というものに惹かれた。
映画や、
小説や。
いや、そうなりたいというのではない。
八方塞がりの現状が、そういうシチュエーションのものに共鳴しやすかった。
主人公たちの葛藤を想像し、その克服に力をもらおうとしたのだ。
映画なら、
ティム・ロビンス、モーガン・フリーマン主演の『ショーシャンクの空に』。
ケビン・ベーコン主演の『告発』。
ダニエル・デイ・ルイス主演『父の祈りを』。
いずれも不当な刑で収監された主人公の、刑務所内での生きざまを描いている。
『ショーシャンク〜』はエンターテイメントとしても洗練されていて、爽快な後味がする。
ビデオ屋時代、勧めてみて、満足されなかった覚えがない。
あとの二作は、たしか実話だったと思う。
『父の〜』は、でっち上げでテロリストとして逮捕された父と子の物語だ。
刑務所のなかで子は絶望し、日々、堕落していくばかり。
しかしその父は、あくまで毅然として、正気をたもち続ける。
その秘訣を息子に問われて曰く、父さんは毎晩夢の中で母さんとデートをしているんだ。
ささやかなおしゃれをし、
手をつなぎ、
いつもの散歩道を、
気ままに商店をひやかしながら、と。
心の風通しは、想像力を基盤とする。
小説なら司馬遼太郎の『播磨灘物語』。
秀吉の参謀、黒田官兵衛(如水)の生涯を描いている。
信長に謀反の嫌疑をかけられて籠城してしまった荒木村重。
彼を説得するため、秀吉の配下だった官兵衛は、その居城に使わされる。
が、村重に欺かれて監禁されてしまう。
信長は戻ってこない官兵衛を、寝返ったと解釈して、その家族を殺せと秀吉に命じる。
官兵衛を信じていた秀吉は主君信長をあざむき、配下の竹中半兵衛にその家族をかくまわせるのだ。
官兵衛は情報を絶たれたまま、村重の城の奥深く、暗い牢に閉じ込められてしまう。
それは、牢というにもはばかれる、直立もままならない狭さの不衛生な穴倉。
見えるのは、獄窓からかろうじて見えるちっぽけな空のみだ。
季節は変わり、いつしか彼は片足を壊死させるが、それでも正気を保って救援を待つのである。
あ、そうか。
その究極は、映画『奇跡の人』ですな。
三重苦のヘレン・ケラーに世界を教えたサリバン先生を描いている。
原題がミラクル・ワーカー。
ということは『奇跡』の人とは、その先生のことを指すいう解釈も、許されるでしょう。
この映画は、衝撃でした。
おや、
また雨が降り始めましたな。
ここは静かだな。
風も無く、道の先で待っていてくれる友も、無い。
連日、同じ曲が頭の中で鳴っている。
『アレクセイと泉』というドキュメンタリー映画のために、坂本龍一がペンをとったテーマ曲だ。
映画は見ておらず、曲だけを知っている。
哀しみが、どういうわけか、凛としている。
世界の美しさのぶんだけ、凹むなぁ。
☾☀闇生☆☽