いつものように起床して、飯を炊く。
ストレッチと筋トレをしながら、洗濯。
昨日食べそびれた野菜の煮物をおかずに、納豆ごはんをいただく。
食後、行き当たりばったりにサイトを数件はしご。
やん、やん、やん、
エロ動画の音声に不意をつかれ、大いにうろたえる。
昨夜、音量を上げたままにしていたのを忘れておったのだ。
次いでメールをチェック。
するまでもないのだが、と思いつつ、案の定なり。
気を取り直して、ウォーキングなり。
i-Pod無しで。
普段一時間かけるコースだが、復路はジョギングにして、じっくりと汁を出す。
だなんて、日記めいたことを書いてみた。
我ながらアホらしい。
近所に独り暮らしのご老人がいる。
いや、小型犬とふたり暮らしと言おうか。
おそらくは日に五回も、六回も散歩をしておられる。
そして、誰彼かまわず、通行人に声をかけておられる。
いや、違うな。
独り言だ。大声の。
もし相手に受け止めてもらえなかったなら、お供の愛犬に語りかけていたのだよ、といった滑り止めのニュアンスがあるのだ。
まあ、
暑いねぇ、とか、
こんなとこにゴミを捨ててこまったもんだよ、とか。
それ自体は他愛もない。
んが、
こちらの対応がこまるのだ。
その孤独はひしひしと感じるのだが、感じるがゆえに、笑顔で会釈をするのが関の山だ。
この闇生も、先日声をかけられた。
洗濯機が故障して、近くのコインランドリーを利用した帰り道。
洗濯物をぱんぱんに詰め込んだデイバッグを背負い、
もうひとつ、大きいスポーツバッグをあしたのジョー担ぎにして、ずんずんと大股に歩いていた。
前方にそのご老人の背中。
なにやらまた愛犬に語りかけながら、能役者のようにゆるゆると歩まれておる。
追い抜くと、
「おおおっ、すごいねえ。…ねえ」
はて、俺か。
俺に言っているのか。
すごい、とはなんだ。
大量の荷物を持って歩く、そのことか。
リピートの「ねえ」は、まるで愛犬と頷き合うがごときだ。
「ん、若いっ」
少なくとも、あのご老人より若いことは確かである。
ならば、たぶん、俺に言っているな。
ほかに人影はないし、まさか犬にではあるまい。
振り返ろうか。
「たのみましたよっ。これからの…」
なんだ、なんだ。
なんなんだ。
言葉を模索しておられるぞ。
「ニッポンをっ」
ずどーん。
振り返れるかっつの。
可笑しいようで、重いっつの。
ご老人が見ないであろう未来を、通り魔的に託されて。
どうすりゃいいのさ。
時折、
そのご老人の住まいから、大音量で音楽が流される時がある。
きっと、音楽に託して、なにごとかを世間に訴えたいのだろう。
選曲が直球すぎて、
近隣のだれ一人として注意できずにいるのだと思う。なんせ曲はこれだ。
『千の風になって』
ずどーん。
郵政民営化のときによく、言われたのだけれど。
地方では、郵便局がコミュニティのヘソになっていて、と。
たしかに銭湯や露地で将棋をさしたり、といった古き良きサロンの役割が、減ってきているのだとは思う。
しかし、それだけだろうか。
孤独のでどこは。
今やわずか五歳も離れれば、話題の共通項を保つのが難しくなってきている。
いやいや、
同世代でもそうだろう。
「昨日のごっつ観た?」
で教室中が盛り上がれたような。そんな時代は、過去になるのだろうか。
ネットなどによって興味の選択肢が増えたはいいが、代わりに共通言語をなくしてしまった。
それでも人はつながりたがるから、『空気』の読み合いが重要視されるようになってきたわけで。
個性、個性と言うくせにだ。
なにはともあれ、
明日は我が身なり。
☾☀闇生☆☽