たとえば頑固で誇り高く、腕の良い宮大工。
彼が可愛い孫娘のためにささやかなドールハウスを作った、としよう。
むろん本業ではないし、損得勘定の外の話だから肩の力が抜けていて、そのぶん遊び心と愛情に富んでおり、けれどもその細かな装飾に匠の技は隠しようもなく。
チラリズムをかましている。
うっかりすれば、本業のよりも良い出来のものを作ってしまうかもしれない。
あるいは、世界的テノール歌手が、休日にキッチンでふと漏らした鼻歌。
ポール・マッカートニーのバックに回ったときのジョン・レノンのハモり。
ロートレックのいたずら描き。
宮崎駿のパラパラ漫画。
ゴーカートで戯れるアイルトン・セナ。
グラント・グリーンとは、言わずと知れたジャズ・ギターの名匠だ。
が、決して超絶技巧の冗長タイプではない。
骨太のシングル・トーンで語る、硬派な男のジャズを聴かせてくれる。
ながでもギター、オルガン、ドラムのトリオ編成のものに傑作が多い。
ということで、ジャズ『通』ならば、グリーンはスイングしてなんぼでしょう。
その一方で、ファンク的アプローチにも成功しており、そちらはそちらで名盤がある。
『Alive』。
レア・グルーヴなどと呼ばれて、数年前にヒップ・ホップ・アーティストに好んでサンプリングされていた。
これを聴いて踊らずにいられるかっつの。
んが、
ここにあげたアルバム『Visions』は、そのどちらにも属さないのではないだろうか。
スイングではないから、フュージョン扱いになるのだろうが、そう呼ぶにはあまりにここでのプレイは朴訥としている。
なるほど、ポップスの名曲をジャズ・ギターで追想する、というブームはあっただろう。
そして、その立役者が同じジャズ・ギターの天才ウェス・モンゴメリーで、彼がビートルズをカヴァーした『Road Song』は世界的なヒットだったそうだ。
けれど、あたしゃこの『Visions』の方が数倍好きである。
ウェスのそれがアレンジに力が入ってしまっているのに対し、グリーンのはあくまで鼻歌のように軽く、あたたかい。
そこがたまらないのである。
ジャクソン5の『Never Can Say Goodbye』。
カーペンターズで有名な『We’ve Only Just Begun』。
たまんないから。
ギターがね、歌ってんだもん。
その感じがね、ちょうど春の空を見上げて漏らした頑固おやじの鼻歌なんだ。
宮大工のドールハウスなんだ。
ドロリとしたファンク・グルーヴを期待して買ったもんだから、実のところ最初は拍子抜けした。
なんせベースはあのチャック・レイニーだもの。
けれど、今となっては最も良く聴くグリーンのアルバムになってしまった。
ジャケがまたいいでしょ。
メガネの中の白雲が、フレームから溢れていてさ。
このおっさんの見つめた世界の素敵を、思わせるじゃありませんか。
春になると、いつもこのアルバムを聴きたくなるのである。
☾☀闇生☆☽
追伸。
猊下の発言の真意を読み取るべし。
想像するべし。
彼にとってのチベットの民は、我が子のようなものでしょう。
それを人質にとられてなお、主張すべきところは主張するという。
それも、身一つで。
絶妙です。
政治力とはそもそもそういう風に使うものではないのか。
さて、いよいよこの国の政治のプロたちのお手並み拝見ですな。
引退後の李登輝の来日にすら、圧力に屈して拒絶してきた連中ですから。