壁の言の葉

unlucky hero your key


 ワイドショーのタレント・コメンテーターほど、奇妙なポジションもない。


 芸能人のスキャンダルやら、流行の(とされる)お菓子やファッションについて、直感で答えてヨシなのだ。
 特別な知識もいらないから、誰にでもできそうだし。
 まあ、多少トンチンカンなことをのたまってしまっても、罪はない。
 けれど、対象が事件や事故の社会問題となってくると、おやおや、と。
 雲行きがあやしくなってくるものでして。


 彼らに与えられる情報はあらかじめ局や、スポンサーや、番組側の姿勢にもとづいて編集されたVTRだ。
 あおる効果音、
 誇張するナレーション、
 それに司会者の正義の見解が加わって、ある方向性をつけられている。
 さらに言えば、放送コードとスタジオの『空気』。
 彼らはその空気を読むともなしに感じて、
 導かれるままに、求められた方向性のことを、のたまう。
 その実、のたまわされているだけなのだが。
 にもかかわらず、なんだか庶民の代弁者とばかりに、彼らは今日ものたまうのだ。
 もっとも庶民から遠い生活をしていながら。


 そもそもその圧倒的影響力のある発言権を、握っている根拠がわからんのよ。
 試験も、資格も要らない。
 頼るのは、直感のみ。
 さてはエスパーか。
 その直感も精査・淘汰されることなく、日々たれながされていくばかりだ。しかも生で。
 生だれ、だ。
 つまりは、発言や評論のプロではないわけで。
 そのキャスティングの基準は、テレビ局に適った思想と、数字(視聴率)につながるかどうか。といったところでしょう。


 とまあ、ワイドショー批判でもやらかすのかと。
 よりによってこのネット全盛の時代に。
 一介のエロDVD屋風情がよ。
 おまえのブログだって『生だれ』だろうが、と。
 うん、ぐうの音も出ない。
 言いたいのは、実は裁判員制度についてなのだ。
 あれと似ていませんか、ワイドショーのコメンテーターって。


 以下、えらそーにのたまう。


 その事件について調査・研究する時間もなく、
 なぜなら生業にいそがしく、
 ましてや法律のプロでもなく、
 また考察の訓練もしておらず、
 用意された資料だけをもとに『印象』にすがって、答えさせられる。
 ほとんどアドリブで。
 それで人を裁くだなんて。


 これは、司法によるプロ意識の放棄なのか。
 連帯責任にしちゃえと。
 たんなる米国の陪審員制度のパクリなのか。


 あのね、まず『個人』を至上でござると崇めたてまつって、そのうえで『心のままに』が純粋で正しいとする風潮があって。そんな多数派に支えられる民主主義がどれだけ危険なものか。我々は何度も体験してきたじゃないですか。
 松本サリンの例をひくまでもなく。
 独裁は、いつも民衆の喝采に産み落とされてきたわけで。


 たとえば彼ら『個人』は、『Let It Be.』なんて言葉を好む。
 訳せば「なすがままに」でしょうか。
 「あるがままに」でしょうか。
 ビートルズの後期代表曲であることは言わずもがな。それによってこの言葉は日本に広まった。
 けれど、この「なすがままに」を言っているのはマリア様なのね。歌詞のなかで。
 なすがままの価値基準は、ズバリそこ。
 決して「したい放題」のことではない。
 個人の『自由』を見張る『落とし蓋』が利いている。
 ひいてはそれが『個人』の枠組みをなす。
 それは、神と個人が直結した世界観で。それが、無意識にまで染みとおっていてこそ聞こえてくる言葉なのね。苦悩の果てに。
 あっちじゃ宣誓をするのに聖書に手を置くのがあたりまえになっているくらいでしょ。


 だもんだから、
 現在の日本ように宗教アレルギーで、なおかつ伝統嫌いで、それによって価値基準を見失った人たちが「なすがまま」をやったりすれば、どうなる。
 落し蓋なし。
 人物は少しも練られず、生のまま。
 すなわちアニマル。
 自然の摂理を見失ってこその人間。それが獣化する。
 となれば暴走しかねない。
 それは『自由』ではなくて『勝手』に化けるだろう。
 だども、
 多くが化けないでいられるのは、無意識にまで沁み込んでいる、『何か』に支えられてのこと。
 ありがたや。
 ありがたや。
 んが、『勝手』というものは、その『何か』をぶっ壊すためのものだ。
 その謎の『何か』あってこその『Let It Be.』だろう。


 役所は、裁判員制度の認識が浸透していないと嘆く。
 前向きにとらえている人が少ないと。
 それを『民主主義』的に解釈するならば、反対者が多数ということではないのかな。


 ちなみに、
 裁判員制度に積極的に時間をさくことができるのは、(いわゆる)プロ市民ぐらい?
 庶民には、無理ですって。



 ☾☀闇生☆☽


 追伸。
 「聖火、長野は無事でしょうか」ってなんなんだ。
 『無事』に済ますことが、本当に無事か?
 その『無事』とやらは、世界中に配信される覚悟があるのか。
 聖火リレーへの抗議行動は、マルコムXにならい、暴力ではなく『知性』と呼ぶべし。
 媚中人権派の、いわゆる『人権屋』。
 チベットの人権についてはだんまりって、おい。
 いろんなところでお里がしれます。

 
 You-tubeにアップされている天台宗のお坊さんのコメント。
 観ました?
 チベットの問題について声明を出してます。
 ぜひ検索してください。
 宗派の違いなんてのは、登山ルートの違いに過ぎない。
 目指すところは一緒よ。


 ついでに触れる。映画『靖国』。
 『右』の一水会の幹部曰く、日本人必見の「愛国映画」とのこと。