壁の言の葉

unlucky hero your key


 
 目覚めると、音楽が鳴っている。
 頭の中で。


 よくあることだ。
 はて、何の曲だったかと、牛のように反芻する。
 まるで、絶望の底にふりそそぐ慈愛のような。
 哀しいけど、やわらかい。
 そんなストリングスで満ちていた。
 お。
 鏡のなかに、おっさんみっけ。
 今日は月曜。
 ジャンプを買いにコンビニへ。


 ウグイスが鳴いている。


 たしか昨日のは『ポポローグ』の海底ダンジョンのBGMだった。
 プレステ1のRPGで。
 プレイしたのは発売直後だったから、はるかに昔。
 にしても、本編『ポポロクロイス物語』ではなくて、番外編の『ポポローグ』て。
 しかもテーマ曲じゃなくて、BGMって。
 それはいい。
 それはいい。
 今日の曲だ。
 と思いつつストレッチ。
 感謝の正拳突きを一万回、
 煮干でダシをとりながら、
 夢想する。
 腕立て、腹筋、背筋、ケツ筋と、
 筋トレを終えて、朝風呂に浸かる。
 窓の外にはウグイス。
 数日「けきょけきょ」どまりだったのが、昨日あたりからようやく「ほーーーー」と正調を勝ち得ている。
 鳥のくせに、なかなかやりよるわい。
 かたじけないものを、かたじけなくも、洗う。
 うん。
 洗う。


 成せば成る、か。


 んなことより、今朝の頭の中の曲だ。
 風呂を出て、朝食にする。
 白ゴマをたっぷりかけたごはんに納豆。
 それと味噌汁。
 メカブでしょ、
 万能ねぎでしょ、
 たまねぎに、
 ブナシメジでしょ、
 えのき、
 大根、
 人参、
 ナス、
 と、こんもりと具沢山である。
 そんなものだ、世界なんて。
 いっただっきまーす。
 で、曲だ。
 まだ鳴っている。
 テレビで情報番組をはしごする。
 暴動。騒乱。抗議。
 派手にやらかしたのが実って、各局、大々的にとりあげてござる。
 ここ壁の言の葉でも先日、このチベットの問題について触れた。
 そこはさすがブログである。
 こんな私にも、お触りOKでいてくれるし。
 なでなで、もみもみ、なんのその。
 まったくもって、かたじけない。
 ヨーグルトを食後にいただく。
 無論、マスコミもかろうじてそれを取り上げてはいる。
 んが、あそこは所詮、報道に自由のない国のなか。
 フリーダムカントリーご自慢の巨大サーチエンジンですら膝を屈した、一党独裁国家さまである。
 外には規制されたものしか届かない、のだ。


 のだ、
 だなんて。
 えらそーに。
 まったく。
 緑茶をやりながら、糸ようじを使う。
 で、やっと思い出した。
 この暴動の一件がずっとあたしの頭にあったからなのだ。
 今朝の脳内i-PODの選曲。
 それは映画『リトル・ブッダ』のテーマ曲であった。
 ベルナルド・ベルトルッチ監督作で、音楽は坂本龍一がつとめた。
 ヒゲを剃って、歯を磨く。 
 舞台は古代と現代。
 シッダールタ王子が悟りを開きブッダとなるその半生と、
 チベットに息づく聖人の輪廻転生が、なんとロスの子供に飛び火するという物語。
 あるときチベット僧が現れて言うことにゃ、
「あなたは聖人の生まれ変わりです」とかなんとか。
 掛け値なしに、突拍子がない。
 にもかかわらず、僧らはその宿命を受け入れよとは強制しなかった。
 一家はというと、現代社会の狂騒に、とことん疲れはてていた。
 当然、息子に近づく赤い装束の一行に怪訝を感じはしたが、これを息抜きの機会と捉え、チベットへ旅立つのであった。
 前歯の裏を、執拗に。
 これでもかと。


 監督はイタリア人。
 撮影のかたわらニューヨークのチベット仏教の寺院に通い、座禅を学んだんだそうな。
 試写会に招待されたダライ・ラマは、その映画のなかの仏教的解釈について問われると、こう答えたという。
 イタリア人のあなたが、イタリア人として感じたままに撮ればいい、と。
 メールをチェック。
 するまでもなかったと思い知り、着替える。
 撮影はアカデミー賞の常連、ヴィットリオ・ストラーロだ。
 ラスト・エンペラーにしろ、
 シェルタリング・スカイにしろ、
 地獄の黙示録にしろ、
 ゴッド・ファーザーにしろ、
 この人の絵にはいつも息を呑む。
 呑まされる。
 髪のすっちゃかめっちゃか加減を断念する。
 今作では古代を暖色系に、
 現代の都会を青く冷たい色に仕分けしている。
 スクリーンではその狙いがはまっていた。
 が、ビデオでは特に現代の青が浮いているような。
 さて、

 
 いや、
 映画評論をぶとうっていうんじゃない。


 我が脳内i-POD。
 たいていは、音楽が頭の中で鳴って、それで夢から帰還する。
 あの哀しき救いの旋律と。
 それを歌うソプラノの祈り。
 調べにみちびかれた今朝のあたしの現実では、ウグイスが鳴いていた。
 チベットの現在と、
 日本の春先ののどかな日常が、
 映画と音楽の記憶でリンクした。


 i-PODのイヤホンを装着する。
 靴を履く。
 さて、今日は何の曲で電車の混雑を紛らわせようか。
 とダイヤルをいじる。
 が結局、イヤホンを外す。
 本体をバッグにしまう。


 ウグイスとリトル・ブッダと。


 今日のとこは、記憶と現実のセッションにゆだねることに、する。



 ☾☀闇生☆☽


 追伸。
 問題は一人ひとりの想像力にあるのだ。
 人間は想像し、言葉を繰り出す生き物。
 そうあってこその人間だ。
 必要なのは、
 チベットでのことを、この日本のぬるい現状のなかで想う、その力だ。
 活力って、そういうことでしょ。
 目先の損得と、
 身の回りの平安にしか視野にないなんて、ケダモノと同じ。