闇生。
普段、できるだけ外食を避けている。
これといった理由もない。
単に人ごみが苦手なのだ。
かつ致命的なひとりぼっちであるからして、胸を張って利用できる店が限られてしまう。
となると自然と常にすいている店にばかり行くわけで。
ようするにまずい店しか入らない。
知らない。
いい歳こいて。
それはいい。
よくはないが、ここはひとつ、まあよしとする。
してくれ。たのむ。
で、たまに自炊をサボって、丼もんのファーストフード店へと立ち寄ることを覚えてしまった。いい歳こいて。
松屋とか、
吉野家とか。
たしかに上京したてのころはよく通ったものだった。
が、当時63kgの体重が諸々あっていっきに83kgにまで膨れ上がり、友人に、
「百貫でぶ」
そう言われるに至ると、こりゃいよいよもってあぶないぞと心を入れ替えた。
知り合いに尺貫法でくくられてはかなわない。
現在は173cmで65kgあたりをうろりちょろりとしている。
のらりくらりともしている。
その現状復帰の帰り道、無駄な摂取をすっぱりと斬り捨てごめんにしてやった。
ざまみろ。
カロリーの不法投棄である。
自分を燃費の悪いだっせー自動車に見立てて、労力に見合ったぶんだけを食すことにしたのだ。
おや、大して働きもしないのに、そんなに喰いますか。餓鬼ですかと。
その太いウインナー、ほんとに必要ですかと。
ウインナーを突っ込んだ。
いや、ウインナーに突っ込んだ。
ひいては己に突っ込んだ。
ひとりSMである。
コンビニの弁当だってやめた。
どれにもこれにも必ず肉が入ってやがんだ。
しかも飾りにしかなっていないようなチビたのが。粗品のように混ぜ込んである。
外食もやめた。
『つきあい』というものがない寒々しい環境であるからして、所詮は自分のための食事にしかなっていないのだし。
あさましいんだから、あたしったら。
もとよりテーブルを囲んでのアメリカンジョークやエスプリには、とんと縁がないのである。
ともかく。
最近になって久しぶりにその手の店に世話になるようになった。
現役復帰である。
で、おどろいた。
このわずか数年で、こういう店にも女性客が増えたということに。
みなさんお一人で朝から黙々と食されておるではないか。
男性客と肩をならべて、顔中うごかしてなにやら咀嚼されておる。
納豆の糸だってまきまきしてるし、お新香をこりこり言わせてもいる。
豪快である。
と感じるあたしを女性蔑視であると、蔑視されるかもしれない。
そこは古い男である。見逃しておくれなのだ。
言いたいのは、それではない。
実家にいた頃、家族で外食すると必ず母は、そのプライドからなのか、
「こんなのうちで作ったほうがよっぽどおいしい」
そう捨て台詞を吐いたものだった。
財務大臣を兼ねる立場としての発言でもあったろう。
が、働く女でもあった彼女なだけに、今になって思い返すとなかなか重い言葉だったように思う。
しかも、彼女は決して料理が得意なほうではなかった。
にもかかわらず、そういう姿勢でいたのだ。
こんなことを思い出したのも、先日の毒入り餃子の問題のせいだと思う。
冷凍餃子なんて、昔はなかった。
あってもなかなか買わない。
あれに手を伸ばすと、なにやらサボりのニュアンスが頭をよぎって、恥じらいを感じたものだった。
ああいうものは、こっそりと人目をしのんで買うものだったのだ。
そもそも餃子なんてものは家族でわいわい言いながら、ひとつひとつ手作りにするものだったわけで。
子供は必ずふざけて、へんちくりんな形のをつくるもので。
モスラっ!
てるてる坊主っ!
きんたまっ!
そりゃあもう大変な騒ぎである。
きんたまがきんたまとして無事焼きあがることに、どれだけわくわくしたことだろう。
うっかり崩してしまって右のきんたまがおしゃかになってしまったことに、どれだけ落胆したことだろう。
噛みしめた左のきんたまの焦げの苦味。
そして、どれほど呆れられたことだろう。
そう。食事というものはそこまでを含めて、コミュニケーションだった。
家庭は決してプライベートな空間であるだけではない。社交の練習場でもあったはずなのだ。
だなんて、古い男丸出しで、すまん。
実家は農業ではないが、土地を借りて家庭菜園をもっている。
ネギ、
トマト、
キュウリ、
ナス、
トウモロコシ、
スイカ、
枝豆、
サツマイモ、
ジャガイモ、
大根、
白菜、なんでもござれ。
梅干やウコンまで作っている。
梅酒も作った。
となると食のほとんどがこの畑でまかなわれてしまうわけで。
父が若い頃は、浜に出かけてイシモチを釣ってきたし。
なんであれ、安全この上なしである。
とれたての野菜は、それがいくらしゃくれたトマトであっても、格別なのだ。
塩ふってむしゃぶりつけばいい。
ちょっと口寂しいと大根に切れ目を入れて皮むき機でソーメンにする。
それにちょっぴりポン酢をかけただけでも、もとの大根が天然ものであまいから、ご満悦。
そして、そういう環境がいかに贅沢であったか、今になると身にしみるのである。
数年前、その実家のすぐまえに24時間営業のコンビニができた。
帰郷するたびに、田舎の夜が早く長いことに同級生たちは憤っていたが、これにて眠らない町に変化し、夜空の星が減ることになった。
そこはアルコールも置く。
小学生の折、あたしが率いた通学団にいた後輩が、朝からそこに入り浸っていまやアル中である。
よなよな路上で、見えない敵と格闘しておられる。
んなことはいい。
よくはないが、ここではおく。
そんな田舎に、去年の夏、帰郷したときのこと。
家にいるのもなんなので、山にドライヴに出かけた。
そういう時は弁当がいる。
むかしなら母が飯を握ったものだったが、今ではすっかりコンビニ文化に毒されて、行った先で買えばいい、と。
いや、息子が帰郷したという珍事にかまけて、たまには非日常的な趣向を欲したのに違いない。
が、哀しいかなそれが俺にとっては日常なのだ。
かくして不肖闇生、ふだん勤務先で頂くコンビニの弁当と似たり寄ったりの代物を、郷里で食うはめになったのであった。
いわずもがな、同じ味である。
たとえ梅干の握り飯。ゆで卵にマヨネーズ。それに家庭菜園産のお新香だけだったとしても、それが手作りならば、コンビニのどんな豪華弁当にも負けやしない。
ましてやファーストフードなんぞにも負けない。
負けるもんか。
負けるな。
「こんなのうちで作ったほうがよっぽどおいしい」
かつてはママの気骨が、食の安全を守っていた。
家族の寿命を決定してもいた。
男子厨房に立つべからず、
という古い言葉はそんな女のプライドの、のたまいだったはず。
おどおどと駆け戻ったストライカーへの、一喝ですな。
ゴールキーパーとしての。
信じろと。
そんな時代があったのですよ。
この国にもね。
とはいえ、
今やオフェンスとディフェンスの永久分担はなく。
そうしておられるほど平穏でもなく、
戦略的フォーメーションもあやうく。
幼児のサッカーのように無邪気に、
ボールの行くところに団子になって、
おのおの自分で攻めながら、
守りながら、
ましてや、ひとりもんのあたしなんざ、なおのこと。
さ、て、と、
煮干でお味噌汁のだしでもとろうっと♪
☾☀闇生☆☽
追伸。
お握りといえば『千と千尋の神隠し』ですな。
製作中に監督の宮崎駿は、スタッフにこんな問いかけをしていたそうで。
「どうして手で握ったお握りはうまいのか」
その問いかけそのものが、答えでもあり…。