壁の言の葉

unlucky hero your key


 『団地マニア』

 
 そんな言葉を聞いたことがあるだろうか。
 読んで字のとおりである。
 団地の、マニアだ。
 断じて、団地妻の、ではないし、マニアが集って住んでいる団地でもない。
 念のため。

 
 先日ふと立ち寄った書店で、その入門書ともいえる解説本を見つけた。
 一期一会の衝動買いである。
 もともと、先年取り壊されてしまった九龍城が好きで。
 その写真集なども持っていたし、世間には同じ趣向の人たちが多くいるのを知ってもいた。
 彼らの大方が廃墟好きだし、
 プレイステーション1のゲーム『クーロンズゲート-九龍風水傳-』の世界をこよなく愛していたりする。
 親戚筋には工場マニアなどがあるのを知っていたから、団地マニアと聞いてそれほど驚くことはなかった。


 ああ、あるだろうさ。


 ただ思い起こせば、団地それぞれの違いを個別性として意識したことは、なかった。
 漠然と、型で抜いたカステラが並んだようなイメージ。
 それだけである。
 たぶん欧米人が、日本人と中国人と韓国人をごっちゃにしているようなものだろう。
 またはロック好きから見た演歌の世界とでも言おうか。


 それが、この本では建物のタイプ別に仕分けし、さながら名所の観光案内のように紹介しているのだ。
 わかりきっているつもりのものでも、専門家にあらためて解説されると、
「ああ、そうそうそう」
 と記憶のカケラが、テトリスのブロックのようにストンと居場所を得るもので。
 そこから見える景色は、同じはずの光景を別世界に見違えさせる。


 たとえば、
 『スターハウス』と呼ばれる棟の型がある。
 マニアにとっては垂涎。団地の花である。
 別名『星型団地』とも言うそうな。
 上空から見ると『Y』字になっており、ひとつのフロアに三世帯が住むようになっている。
 一つの枝に一世帯。
 交点が共有の階段である。
 敷地を有効に使うためと、ずらりとカステラ型が並ぶ視覚のアクセントとして考案された。
 他にもツインコリダー型や、スキップフロアなどタイプは様々で、この世界も奥が深い。
 団地に住んだことがある人も、ほかの団地もきっと似たり寄ったりだと考えているのではないだろうか。
 老朽化のため、
 今やかつての味わい深いデザインは建て直しで消えていこうとしている。
 スターハウスも然り。
 ならばかろうじて残されている今のうちに、この世界を覗いておきませんかと。
 本は誘うのである。
 おいで、おいでと。
 もとより、誘われずとも我々のすぐそばにある世界だ。
 思い立ったら吉日。
 で実際に行ってみた。
 その本で最も代表的な物件として紹介されていた関東のマンモス団地に。


 団地という、人工物。
 その単純な造形の組み合わせが生む環境。
 その面白さをあらためて体験してきた。
 正直、圧倒された。
 そこで育まれる子供の視界は、単純な直線と色彩に支配される。
 言い換えれば、きわめて無駄のない世界。
 それが巨人のごとき圧倒的な存在感でとり囲んでいるからこそ、子供の想像力は遊びという名の『無駄』を求めて敏感になる。
 無駄や異物はいつだって子供のおもちゃだ。
 それを思い出した。


 たしか三歳まで住んでいた住宅。
 直方体の同じような建物、同じ間取り、似たような庭の作りが等間隔で並んでいて。
 言いつけをやぶって、恐らくは生まれて初めてひとりで家の外に出た俺は、ものの見事にそこで迷った。
 昼下がり。
 人影もなく。
 駆けても、駆けても、同じようなコンクリートの建物。
 巨大ロボットたちは物言わず、ただただ見下ろしているばかりで。
 その怖さと、不安と、わくわく。


 そんな単純な視覚へのアクセント。
 それが児童公園というもので。
 公園は子供の天下のはずだが、設計するのは大人。
 子供は遊びの現場として、
 大人は単純世界での視界のあそびとして、それを求める。
 むろん遊具は大量生産ではない。
 滑り台のデザインなんぞは、公園ごとにちがっているもので。
 設計する大人の茶目っ気なのか、顕示欲なのか、妙に芸術ぶっているのがあったりして。
 それもまた楽し、だ。

 ちなみに闇生が幼少時代をすごした住宅のシンボルは、公園の通称ロケット滑り台とよばれるものだった。
 見かけは骨組だけのロケット。
 その『ケツ』から階段を使って搭乗し、踊り場を何度か経て頂上へ。
 そこから滑り台で、機体をらせん状に巻いて降りるのだ。
 そこへいくと今日訪れた団地はあまりに巨大で、公園もひとつではない。
 あちこちにある。
 どのすべり台も面白かったが、なかでもクラゲと呼ばれているのがユニークだった。
 波打つクラゲの傘のように、円形なのだ。
 裾から中にも入れるし、子供の好奇心は、そんな陰を棲みかに育つだろう。


 などと考えつつ、
 さすがに、ひとりで滑ってみられるほどの勇気は、もてなかった。


 よそものだし、
 団地見物だけで不審このうえないだろうし。
 そこはそこ、節度を心がけつつ、さまようことに専念させていただいた。
 他の団地も訪れてみようかな。


 団地の主なのだろう。
 空を突く給水塔がのっそりと、ダイダラボッチのように見送ってくれた。




 ☾☀闇生☆☽
 参考文献『僕たちの大好きな団地』洋泉社