マドンナが、
 八十年代から九十年代にかけて発信してきたエロティシズムは、それ自体が強烈なメッセージだった。
 あえて武器として女『性』を駆使し、戦略的にその社会的認識の向上をはかったのだ。
 あの有名な、胸をまるでロケットのように強調した衣装は、その象徴なのであーる。


 …とは、アメリカ在住の映画評論家、町山智浩氏のお言葉。
 正確な言い回しは違ったはずだ。
 が、そんな解釈をしていたと記憶する。
 なるへそ。
 見られる、という受け身ではなく、攻撃としてのエロだ。
 オンナを武器に、戦略的に米国社会を挑発し、挑戦しつづけたのである。あのスターは。
 それにくらべてパリス・ヒルトンのエロはまったくもぉ…と、氏の論は続くのだがここでは触れない。


 そのうえで話を日本に切りかえてしまう。
 輝ける戦勝国がそんなこったから、性は解放されるほど未来志向と解釈されがちである。
 けれど、この国にかぎっては昔のほうがよっぽどおおらかだった。
 そのあたり、かの国とは事情がまるで違っているからおもしろい。
 たとえば女郎ひとつとっても『貧困の挙句の身売り』とか、そんなネガティヴ面ばかりで語られてしまう。
 けれど、花魁なんていう上級ランクがちゃんと用意されているのは、世界史的に見渡せば、ね。
 禿(かむろ)や新造などお供をずらりしたがえて、塗下駄でゆったりと八文字を踏んでいく花魁の姿なんざぁ。
 もお。
 どうなんでしょ。
 おおらかっしょ。
 言ってみりゃ、高級娼婦よ。
 その道中に見物がでるっていうんだから。


 戦国の世には衆道(男色)なんていうのが、武士のたしなみとしてあったし。
 それはもう「秀吉にはそのケがなかった」というのがかえって語り草になるほど根付いていたのだし。
 そんな戦国武士の気風は、江戸の世にまで受け継がれてもいて。
 歌舞伎の女形が陰間茶屋で下積みをするのも珍しくなく。
 陰間。
 それは男娼のことでございますのよ。はい。
 江戸では芳町(よしちょう)にあったそれが、もっとも有名だったそうな。
 一般に、坊主は女色を禁じられている。
 ならば男色ならええじゃないか。
 そんな方便でもって、江戸の和尚たちはそこへ通ったのであーる。
 それを堕落とみるか、
 人間の業をみとめたおおらかさとするか。
 いやいや、男だけじゃーない。
 セレブの未亡人なんかも通いつめたというから、こんな句が残されるのだ。


 芳町は 和尚をおぶい 後家を抱き


 女装した陰間と遊ぶ女たちを、豊国が絵に残している。
 その他、好色本が盛んなのは周知の事実だし。
 浮世絵がそのエロパワーをもとに芸術的に昇華し、のちに世界的に知られるわけで。
 淫具(おとなの玩具)なんかもすすんでいる。
 なんせレズ用の双頭ディルド(二人用の張形)まであったのだから。
 ゲイだなんて概念が入ってくるは、文明開化のはるかのちのことではないだろうか。
 キリスト教方面の、忌避されたイメージとともに。
 考えてみれば、引きこもりになったアマテラスを外に誘い出したのも、ウズメちゃんのストリップである。
 張り切りすぎて、ぺろんちょと丸出しでござる。
 しかも、見物する神々はそれに大笑い。
 神々からして、おおらかなのだ。
 んが、
 日、出ずる国のおおらかさは、文明開化とやらを境に消えていくわけで。
 みょうな感じに、しゃっちょこばっていくわけで。
 マジになっていくわけで。


 海女の例をひくまでもなく、たとえば炭鉱で男に交じってはたらく女のなかには、当たり前のように裸のものがいたし。
 そこまで極端なはなしでなくとも、そう、授乳。
 戦後、バスの中でおっぱいをあげているお母さんの姿なんて、あたりまえだったそうだ。
 無論、さすがに丸出しにはしないが。
 そこに妙ないやらしさは、まだ発生していなかったのである。
 頑見(がんみ)などもってのほか。
 おもいやりでもって周囲の女たちは見守り、男どもは目をそらした。


 それがどうしてこうも神経質になってしまったのだろう。
 いや、それがゆえに発生した性癖というのもあるのだろうけれど。
 でもって、それに寄りかかって食っているのが、あたくしのエロ稼業なんでしょうが。


 かたじけなし。


 で、
 やっとこさ、本題。
 いやはや、ごくろうさまでした。
 広末涼子が出演しているあのCM。
 おヘソもあらわに、フラフープをぐりんぐりんやってるやつ。
 あれにクレームがあったというのだ。


「ブラジャーが透けるほど汗をかいた最後って、いつだろう」
「もっと出したい」


 このコピーが不快だ、と。
 http://news.biglobe.ne.jp/social/jc_080115_0414286577.html
 なんでも『ブラジャー』という具体的な名詞にカチンときたらしいのだ。クレーマーは。
 どうもすいません。ブラジャー。
 ワコールなんかはどう思っているのだろうか。この件に関して。
 『天使のブラ』なんてあったぞ。トリンプので。
 あれは突っ込まれなかったのだろうか。
 略せばいいって問題なのか。でもなさそうだし。


 ブラジャーが不快とは何事ぞ。


 本来、女性運動家こそが、この件にそうつっこむべきではないのか。
 コピーは昨今のデトックス・ブームに即してもいるしなぁ。
 では、いったい何がおもしろくないのだろう。
 「ブラジャーは透けない」
 に至ってはもう「ぼくは、泣かない」的な、なにか切実な決意めいたものすら感じてしまう。
 決して「トップが透けるほど」とは言ってないのに。
 汗かけば、透けるって。
 それはブラのうえに着ているものの問題だし。

 あのCM、たとえば男だったらいいのだろうか。
「ビーチクが透けるほど汗をかいた最後って…」
「もっと出したい」
 妻夫木とか。
 ダメだろう。
 どんなに男前でも。
 やっぱ広末の透明感を借りてこそだろう。
 あたしゃ別に広末を特別好きなわけでもないのだが。
 DAKARAのCMの小便小僧のほうが、デトックス的にはもっと露骨だったぞ。
「汗臭い嫌なイメージ」
 に至っては、リポビタンDのほうがよっぽどである。


 で、だ。
 闇生はあのCMを最初にみたとき、先にふれたマドンナの戦略的なるものを感じたのだ。
 やりよるわい、と。
 汗で透けたブラジャーに、胸を張ろうじゃないかと。
 日本の場合、無論マドンナのロケット・ブラのような攻撃的な手法はとらない。
 土壌がちがう。
 が、かつて生理用品や女性用下着のメーカーが散々苦悩してきた女『性』の表現。その戦いの伝統をうけついでいるとは思った。


 少なくともあたしゃ不快ではなかった。
 痛快だったし、爽快でもあった。
 やられたー、とまで思った。
 しかしながら今や大衆こそが権力者。
 あっけなくCMは差し替えとあいなったのでござる。






 にしてもだ、
 そんな議論はさておいて、お茶しませんか。
 眉ひらきましょ。




 ☾☀闇生☆☽
 参考文献『大江戸ものしり図鑑』花咲一男監修 主婦と生活社