壁の言の葉

unlucky hero your key


 「大小便禁ず


 まず、そう書かれてあった。
 クリスマスの準備に華やいでいる横丁。
 その、とある居酒屋の裏手でのこと。
 日の差さない駐車場を囲った朽ちかけのフェンスに、白いプラスティック製のプレートが針金でくくりつけられてある。
 そこにあった言の葉だ。
 ふと視線を変えると、
 居酒屋の表には白地の幟(のぼり)が立っていて、この日は風がないのでしおれているばかりなのだが、墨痕もあざやかに毛筆でこうあるではないか。


大小宴会承ります


 そうくるか。
 それも『大小』だけを血のしたたるような朱書きにしてのけている。
 どうだろう。
 このふてぶてしさ。
 駐車場は居酒屋のものではないらしい。
 前者の高々とした、いわゆる『上から目線』の物言いは至極当然のことではあるのだが、カッチリ横わけの戦後のアナウンサーを思わせるような、これぞゴシック体といった太文字が、駐車場の管理人のゆるぎのない意志を表明しているその傍らで、


 実るほど こうべを垂れる 稲穂かな


 こともあろうに商人(あきんど)が、これ見よがしに腰低く承ってくれているのである。
 大も、小も。
 それらを、
 この一介のエロDVD屋が通勤の道すがら、よからぬ想像力でもって関連付けてしまっている冬の朝だ。
 「禁ず」が生んだ強圧的緊張。
 そいつが「承ります」の低頭ぶりに緩和されちゃってしょうがない。
 ならば「禁」じられてしかるべき「大・小」の「宴」の「会」を想像しちゃってもしょうがないじゃないか。
 実際、承られたおっさんたちは、承られるままに宴をやらかした揚句『大』はともかく『小』およびもろもろの分泌物を、つまりはおっさんの「残念」をこの裏路地にたっぷりと染み込ませていくわけであり。
 それはそれは「禁ず」と言われても致し方ない有様なのである。
 普通、無いだろう。
 日常で「禁ず」と言い切られてしまうことなんか。
 いや、むしろあえてそこまで封建的に禁じられてこそ、宴へのポテンシャル・エネルギーは上がろうというもの。


 「大小」


 ただでさえポテンシャルは衰えていくばかりなのである。
 吐き出したいのはその大小の名を借りた日々の残念だ。
 無念だ。
 出したい。
 若々しく、
 そして勢いよく、出し切ってしまいたい。
 ならば「禁ず」に、
 その勢いを借りたっていいじゃないか。


 

 いいわけがなかった。


 夜の居酒屋の裏には、
 ただただおっさんの残念があるだけです。



 ☾☀闇生☆☽