座頭転がしは傘をさして歩きぬいた。
やがて小さな集落に出るが、その接続まぎわの道の草が路面が見えないほどに繁茂している。
それが雨で濡れていたために踏み分けた足もとがびしょびしょになってしまった。
雨は、おさまっている。
どうにかしてこの山襞にわだかまる霞の具合を記録したいのだが、どうやってもあたしの腕じゃだめですな。
雄大です。
もののけ姫を想起します。
往時の街道からも、このような景色が見えたはずであり。
急な天候の変化には自然の雄大さを思い知って心細かったことでしょう。
ちなみにこの集落には尾張藩主の定宿跡があるそう。
道は巨大な電波塔の先で県道30号に合流。
犬目宿。
ここは犬目兵助を輩出した郷。
天保の大飢饉の折に甲州一揆を企てた。
その際に、一揆の首謀者は一族郎党まで罰せられるとのことで、妻と家族に離縁状をのこして決起。
当時四十歳だったという。
ともに決起した同郷の竹七はとらえられて牢死。
平助は維新後まで生き延びた。
天保の大飢饉は天保七年。1836年。
この道標に気づかずにすこし探した。
この道標から急な階段を上った先に、彼の墓がある。
見上げると観光客らしきひとたちが盛り上がっていたのでスルー。
なんかそういう気分で対峙するものでもないかなと。
それとあたしの性分なのだろうけれど、他人様にカメラをむけるのに抵抗があるのだな。
同様の理由で、犬目兵助の生家跡あたりの撮影は、お盆で集ったらしい縁者たちで賑わっていたので、遠慮した。
この碑の傍が消防団で、公共にトイレが貸し出されている。
そのトイレの男子用便器から見える眺めが絶景でござった。
犬目宿を出る。
雨のせいもあって寄り道をせずに急いできたが、この宝勝寺は見ておかんと。
葛飾北斎の『富嶽三十六景甲州犬目峠』はこの寺の境内から描かれたといわれているのだ。
それがここ。
ね。
見えますか?
富士。
傍らには住職によるこんなメッセージが。
『はれてもよし くもりてもよし』
御意。
それを心得てこそ、この雨のなか、寄り道したのです。
( ̄ー ̄)
階段をおりて県道30号にもどる。
道なりに進めばすぐ近くに『陰陽石』なるものがあるらしいのだが。
はて。
それらしき場所の崖上にピンク色の鉄製ゲージがあって、斜面が階段状に踏みならされてある。
ゲージは閉じられてなかは見えなくなっていたのだが、鍵はかけられていない。
さてはこれかと開けてみた。
あら。
女石と男石。
陰と陽、の対(つい)で繁栄や豊穣を願うのね。
こういったのは各地に残されてますな。
性に対しておおらかだった時代の名残りですな。
この石碑はいつの年代のものなのか。
ピンクのゲージは鉄製なので、時代がおおらかさを失ってから後付けされたものでしょうが。
けど、おもしろいのは、戸が網状になってる点。
ようするにモザイクなのよねえ。
つづく。
☾☀闇生★☽