歩く。5

 道はつづく。
 西調布駅入口をすぎて中央道の高架をくぐり直進すると、飛田給
 飛田給入口交差点は親子連れで混雑していた。
 このすぐ北側を走る現甲州街道沿いにアジスタがあるので、どうやらそこで何かイベントでもあるらしかった。
 あたしゃかまわず旧道を直進して飛田給薬師堂へ。
 ここには『行人塚』がある。


 

f:id:Yamio:20180715192040j:plain
飛田給 行人塚。


 伊達藩士であり医師でもあった松前意仙が薬師如来に帰依し、各地の仏閣などを廻拝したのちにこの地に如来像をつくったそーな。
 で、そのあと自ら墓穴を掘り、端座叩鉦結三昧の果てに、入定なされた。
 手塚の『火の鳥』にも描かれた、あれと同じですな。
 穴の底で経をとなえつつ鉦をうち、
 それが聞こえなくなったら死んだということだぞと。
 伝説のように言い伝えられていたそうだが、その後、遺骨が発掘されて真実であったとわかったそうな。


 先を急ぐ。
 とすぐそこにまたも常夜灯。


 

f:id:Yamio:20180715192837j:plain
飛田給 常夜灯。


 だいたいこの街道沿いの常夜灯や一里塚というのは、もとあった場所から移設されている場合が多いですな。いまのとこ。
 社殿なんかもそうだ。
 理由は多摩川の氾濫がたびたびあったからで、それから逃れる必要があったからである。
 ちなみに常夜灯の燃料はろうそくか菜種油だったそうな。
 それを当番制で見張り、管理すると。
 当番になった日には、緊張するねえ。
 常夜灯は道の灯台的な役割が主なのだけれど、解説によれば火事を祓う意味もあったというね。


 はい次。


 西武多摩線の踏切を横断するまえに、ちょっち寄り道。
 北側を走る現甲州街道と旧道とのあいだに『旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕』がある。
 

 

f:id:Yamio:20180715193853j:plain
白糸台 掩体壕


 掩体壕(えんたいごう)、というのは戦闘機を敵の目から隠すためのいわば目隠しで。
 屋根がなく、ネットを張ったうえに迷彩をほどこすパターンのと、 
 この写真のようにコンクリートでがっちり屋根をつくるパターンがある。
 調布飛行場を中心に周辺には無数の掩体壕があったという。
 この飛田給のは、戦闘機・飛燕を格納していたのではないかと言われているそうな。
 戦後は子供たちの遊び場として町に溶け込み、
 以降、当壕は保全・管理され、ちいさな公園のオブジェのごとき様相で生き延びていたのでした。


 常久公園のベンチで仮眠。
 

f:id:Yamio:20180715194650j:plain
常久公園ベンチでごろ寝。
 なんせ、あづい。
 30分ほどうとうとして、ちょいと道を南にそれて常久一里塚を確認。
 日本橋から七里(28㎞)とある。
 旧道にもどる。


 大嶽電機。
 

f:id:Yamio:20180715195119j:plain
大嶽電機。
 
 いかにも廃墟マニアが喉を鳴らしそうな物件ではないかと。
 街道沿いにこんなに大胆なロケーションをほこっているのだ。有名なんでしょう。きっと。
 そして、またしても道を逸れる。
 大嶽電機をすぎてすぐ。
 武蔵国八幡宮の参道が南進を誘うのだな。

 

f:id:Yamio:20180715195537j:plain
武蔵国八幡宮
 

 

f:id:Yamio:20180715200000j:plain
国府八幡宮。参道は京王競馬場線をこえて、さらに伸びる。


 

f:id:Yamio:20180715200119j:plain
武蔵国八幡宮


 閉ざされてました。
 長い長い参道を歩いた挙句、本殿だかなんだかは、閉ざされていました。
 入れません。
 境内ではボーイスカウトらしき一団がなんか強そうなテントをいくつも張って、和気あいあいと卓を囲んでいたので早々に退散。
 暗い森の中ということもあいまって、その結界感がよろしいですよと。
 世の中は、見られないもの、知れないものがあるというところを愉しむ。
 だはは。
 

 じゃあ、この辺で。 
 続きは、またこんど。




 ☾☀闇生★☽