壁の言の葉

unlucky hero your key

歩く。2

 七月八日(日)
 甲州道中、二回目。


 先週の終了地点をめざして新宿で下車。
 だいたい午前11時ごろだったか。快晴也。
 西新宿二丁目交差点から再開す。


 スタートしてすぐ、文化服装学園をすぎたところの脇道に可愛らしい天満宮がある。
 樹齢300年の箒銀杏に再会。

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 このあたりは上京して最初に住んだ町だ。
 それだけに、いろいろと思いでがありましてな。
 眠れない夜はこの道をあるいて新宿あたりを徘徊しておりましたっけ。
 この銀杏も当時は文字通り『逆さにした箒』の態でした。
 樹勢は燃えさかる炎のように猛っており。
 梢の闇のなかには膝を抱えた精霊たちが息をひそめていそうな、そんな雰囲気があった。
 夜見るとなおさらで。
 いまは隣に建ったマンションへの配慮(忖度は得られなかったのか)からでしょう。敷地をはみ出た枝は伐り払われ、ご神木の威容は残しておらず。
 きっと精霊たちもよそへ引っ越したことでしょう。


 明治神宮へと通ずる『西参道』を越える。
 山手通りを渡る。
 気づけばこのあたりから街路樹が増えている。
 道ゆく人たちを日差しから庇ってくれる。

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 ありがたし。
 けれど、この街路樹もそうとうなお年頃で、発育した根がいたるところで舗装をもちあげてしまい、通行する車いすやベビーカーには難儀をかけているかと。
 チャリンコにとって甲州街道というのは、車道をゆくには車が飛ばすので怖い。けれど歩道はこの街路樹の根の隆起がはげしいのでよろしくないといった塩梅だ。


 代々木警察署近くでわき道にそれて、幡ヶ谷の語源になった旗洗池(はたあらいけ)跡碑を訪ねる。
 池はすでになく、マンションの一角に石碑だけが遺っていた*1
 碑文は道路がわにない。
 だもんで単なる景石にも思えて。
 草を踏んでまわりこむと東郷平八郎元帥の筆によるという『洗旗池』の文字があった。

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 地味だ。
 ううむ。
 『旗洗』池に『洗旗』池の碑、ね。ややこしい。
 語源は源義家後三年の役(1083~87年)で上洛するさい、この池で白旗を洗ったという伝説からだという。


 すたこらすたこら街道にもどる。


 幡ヶ谷歩道橋のたもとの『子育て地蔵尊』。
 階段の陰にちっこいのが苔むしているのかと想像していたので、捜しながら何度か行き過ぎてしまった。
 なんと地元の有志によって立派な塔ができいるではないですか。

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 これは気づかなかった。
 街並みに溶け込むほどシンブルで素朴な塔で、よろし。お地蔵さんは1686年造立。


 中野通りとの交差点。笹塚。
 名の由来は一里塚が笹に覆われていたからだという。
 その交差点の一角に牛窪地蔵尊
 これも『塔』のようにそびえていた。

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 かつてこの地は窪地の刑場で、牛裂きの刑が行われていたそう。だもんで『牛窪』と。
 処刑された罪人たちの無念が怨霊となってたたり、疫病がはやるなどしたためにこの地蔵が置かれたそうな。(1711年)
 牛裂きでは即死はできないだろうなあ。
 ある程度苦しんだら介錯してもらえるのだろうか。


 そういや折も折だ。先ほど国内で執行された死刑が海外でも物議を醸す事態となっておりますが。
 この『牛裂き』という残酷刑を考えるとき、その是非はひとまず置くとして、この時代の日本においてはおなじ『死刑』でも、罪の程度や罪人の身分によってその方法をわけていたということが、少なくともわかりますな。
 たとえば武士にとっては切腹は名誉と聞くし。
 それはおそらく最終的な生殺与奪の権を、極限において、他者ではなく当人にゆだねるというそこに、なけなしの、けれど絶対の『自由』があるからだろうし。
 それゆえ打ち首、はりつけ、獄門は不名誉で、
 さらには執行後の晒し首に至っては、見せしめという意味もあるのだろうけれど、同時に世間のいかんともしがたい怖いもの見たさ、野次馬根性、ワイドショー的趣味を同時に満足させようという、そんな効果も少なからずあったろうかと思ったりする。
 日本橋の不倫・駆け落ちの晒し場もそうでしょう。
 死への方法に多種多様なランクがある、というのは、実はあたしたちは自覚しているのですがね。
 知らんふりを決め込んでいます。日常では。
 生への方法については瞬間瞬間に選択しつづけているのですから、裏返せば同じことです。
 こうすれば健康あるいは善良と知っていながらまた飲んじゃったり、食べちゃったり、徹夜したり、あるいはドラッグやったり、ちょっとだけと出し抜いたり、これくらいはと独り占めしたり、ズルしたり、浮気したり、といつだって生き方の程度の選択はしているじゃないですか。
 それは逃れられないゆるやかな死の、程度の選択でもあり。

 
 などとつらつら考えつつ、一里塚跡につく。
 笹塚交番の横にプレートだけ。
 味気ねえ。
 つまんねえ。
 笹塚郵便局を手前の路地を入ったところに笹塚庚申塔

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 庚申塔というのは、意外とあちこちにありますな。
 江戸時代には流行していたのでしょう。庚申信仰
 あたしの場合、PSの九龍風水傳(クーロンズゲート)で知りました。
 三尸をあつめるあのイベントです。
 これだけ流行ったというのに、今はとんと聞きませんな。
 不思議なものです。
 体内に住む三尸が60日に一度、寝ているあいだに身体からぬけだして『天帝』に宿主の罪科をちくるので、徹夜して三尸を見張るのだそう。
 天帝という言葉からすると古代中国方面からきている信仰っぽいですな。
 その肝心の天帝というのがなじみませんな、この信仰は。それですたれたのでしょう。
 仏教系にアレンジされていれば、あるいは慣習として生き残ったかもしれません。


 大原交差点で環七を、松原交差点で井の頭通りを越える。
 明治大学
 和田堀廟所にお邪魔して自販機で緑茶を購入。
 墓参の人たちに紛れて公衆トイレをお借りする。


 松原二丁目交差点から裏道をえらぶと、そこはまるでお寺の銀座通りだ。
 寺、寺、寺。
 監視カメラびっしり。
 それぞれ由来のあるお寺さんばかりである。
 神社とちがって、ちと入りづらい。
 そんな寺の並びのシンガリが『旅館』というネオンだったのがおもしろかった。
 旅館という名の旅館らしい。


 下高井戸交差点で街道に戻る。

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 桜上水駅北交差点。
 その一角の屋根に大きな象の竹細工がのっている。
 1907年創業の竹細工店『竹清堂』。
 
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 信号を待ちながら店頭をながめているうちに、竹編みの枕がほしくなる。
 引き戸を開けて入店するとおかみさんらしき方が対応してくださった。
 奥にある畳敷きの作業スペースでは、職人さんが女の子に竹細工のレクチャー中。
 教室でもひらいているのだろうか。

「竹っていいですよね」

 と声をかけていただいた。
 かたじけなし。あたしなんかに。
 ひとつのボケもうかばず、口ごもる。
 竹編みの枕1700円也*2


 鎌倉街道との分岐点に下高井戸の一里塚跡が。
 ただこれも解説のプレートのみ。
 四里目。日本橋から約16㎞。
 つまらねえ。
 道そのものが観光資源であることを念頭に、趣向を凝らせよ。
 忖度せえよ。
 日本橋より四里目。


 まあいい。飯にしよ。
 年に一回たべるかどうか、のラーメンにしようと企んでいた。
 現場帰り、環八手前で目立つのが『長浜』という赤ちょうちんのラーメン屋。
 夜など特にそのちょうちんが目立つせいで、となりにもラーメン屋があることは見過ごしがち。
 しかも未明には、長浜は営業しているのにこちらは閉店作業をしているという光景がよく見受けられ、仲間うちではよく話題になっていた某お店。
 券売機でメニューをえらぶ。
 千円入れて、全体のうちプッシュ可能なボタンがわずかしかない。
 表示からもれているメニューのは、売り切れなのかなんなのか。
 食べ終わるころ、あとから来た客とのやりとりでつり銭の100円切れだと判明。
 日曜の昼過ぎに券売機をつり銭切れで放置とはいい根性していると感心。
 とりあえず味噌系がうまいという前情報は得ていた。
 チケットを求めてカウンターに置く。
 そのカウンターを拭いていた店員が何かいう。
 んが、そっぽを向いたままなので、誰に向けて発した言葉なのか判然としない。
 どうやら無料のトッピングかなにかの選択をあたしに聞いたらしい。
 見当をつけて「フツーで」と返したあたしもあたしだが、そっぽ向いたままの店員も店員だろう。
 冷水器をみつけてコップをとったが、サーバーは壊れていた。
 なんの張り紙もされていない。 


 となりのカウンターで「うめえうめえ」騒ぎながら巨漢がつけ麺を貪っている。
 感動している。
 確かにまずくはない。
 てか、たぶんうまい。
 けど、やっぱいろんな意味でうまくない。


 ごちそうさまでした。
 あやまちはくりかえしませぬから。


 店を出て、街道を行く。
 すぐに環八にぶちあたる。

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 高井戸陸橋。
 本陣跡があるらしいがここには標識プレートすらない。
 やっぱつまらねえわ。国交省
 こーゆーとこなんだよ。国交省


 てか国交省管轄なのかどうかも知りませんが。

 
 さて、今週の予定はここまで。
 その時点でまだ14時だ。
 どろどろのこってりスープと太いちぢれ麺があまりにヘビーだったので腹の中でこなしきれていない問題が、未解決のままであった。
 八幡山駅下のモールでしばし逡巡。
 挙句、ウォーキングを続行することに決めた。





 つづきは次回。




 ☾☀闇生★☽

*1:これまでの道程では史跡のほとんどがマンションにしてやられちゃっているのが、もったいないと思ふ。五街道ウォーキング、というアプローチで自治体や商店街が連携してもりあげることはできないのだろうか。

*2:翌日、竹編み枕と茣蓙で昼寝。至福~。