おっさんになるにしたがって、
歴史ものや実録ものに趣向が傾いていく。
そんな傾向を卑近に感じている。
それらをリアルと見なして知的ステータスを感じ、カタルシスを貪っているフシもある。
それはおっさんの一員として、身に覚えもあるし。
けど、それどうなんだと。
メタファーの受信機能の劣化ではないかと、ふと思ふのだ。
受信というか、とにかくめんどくさくなってくる。おっさんになると。
想像に遊んで、発展させ、そこから現実につなげていくのが、めんどい。
ファンタジーや寓話を、ただちに抽象化した現実として解釈しようと構えるのは、かえって色眼鏡を重装備してしまいがちなのでよろしくはないだろう。
んが、どーよ。
どーなのよ。
歴史ものや実録やドキュメンタリーという入口が、必ずしも本質へと導くとは限らないよね。
ね?
もちろん軽視すべきではないにしても。
たとえば歴史小説というひとつのエンタメ的手法で描かれた作品を、リアルととらえるのは危険だわな。
けど、まったくの絵空事かといえば、そうでないとも言えるし。
絵空事から、本質を読み取る人もいるだろうし。
絵空事から、本質をにおわせる作家もいる。
ともかく、
インクの染みをインクの染みとしか解釈できないのは、つまんねえよな。
インクの染みであると理解したうえで、それを花鳥風月にみたてる遊び心は、歳食っても保ち続けたい。
☾☀闇生★☽