壁の言の葉

unlucky hero your key

『チベットチベット』感想。

 キム・スンヨン監督作『チベットチベット

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 ドキュメント映画。
 日本生まれ日本育ちである在日三世(韓国籍)の若者が自分探しの旅をする。
 時期は97年~99年。
 当初は漠然と世界一周を目標としていたが、食わず嫌いにして遠ざけていた祖国韓国を旅し、異国の人々とふれあい、中国へと旅をつづけていくうちに、一枚の写真に出会う。
 モンゴルのとあるパオのなかにささやかに、けれど大切に祀られたその肖像。
 ダライ・ラマ十四世。
 チベット人たちにとっては宗教的・精神的指導者であるばかりでなく、アイデンティティの象徴でもある。


 亡命してなお祖国チベットの独立と自由を願いつづけるのはチベット生まればかりではない。
 亡命政府のあるインドに生まれ、
 インドに育ち、
 チベットの地を一度も踏んだことのないチベット人も決して珍しくはないのである。
 それにもかかわらず彼らは自分はチベット人であると胸を張るのだ。
 民族浄化のすすむチベットが自由になった暁には生活の基盤のあるインドを去ってチベットへ帰る、とほとんどの者が豪語する。
 なぜなら、自分はチベット人だからと。


 監督は日本生まれ。
 日本育ち。
 そして日本語で考える。
 それでいて韓国名と日本名の二つの名をもっている。
 名前はアイデンティティの根本だ。
 ましてや若さというやつは、アイデンティティの定まらないもので。
 そんな監督にとって、亡命政府のチベット人たちの存在は衝撃となった。
 彼らの祖国チベットとはいったいどんなところなのか。
 旅はチベット自治区へと進むのだ。




チベットチベット予告編 Tibet Tibet Trailer


 以下、感想として、
 市井の人々の生活が感じられる旅のドキュメント映画として、興味深い。貴重な記録だ。
 チベットの人たちは、目がきれいだ。
 出てくる子供たちも、みんないい顔してる。
 それから『民族ってなんですか?』という素朴な問いに発する旅であり、『ノー・ボーダー』的に、安直にその否定に終わらないところがポイントかな。
 家族を大切にしてこそ、他人がその家族を大切にする気持ちが理解できるように、 
 民族も、愛国心も、あるいは信仰も、本来そういうものなんじゃないかと。
 それらを持たない・こだわらないことを美徳のようにいう人がいるけれど、決して威張れたことではないと思う。
 
 
 結局、この映画は自分探しあるいはルーツ探しという、きわめて個人的な結論に帰結する予定調和的な感触がつよいのだが、ロードムービーとしてとらえればそれもまた普遍的なテーマであるということだし、足掻いても足掻いてもたどり着くのはかつて誰かが通った道ばかりというその足掻き自体が若さであり、ドラマであり、つまりは青春というものなのであーる。


 貴重なのは、亡命政府内の生活の様子が記録されていること。
 まずそこ。
 とりわけインド人とチベット人がわけ隔てなく生活している様子に幸福感が満ちていた。
 それから、死に物狂いで亡命してきた者たちに会い、ねぎらいの言葉をかけるダライ・ラマの人柄。
 チベットとの気候のちがいや腐った食べ物に気を付けるように注意し、体調がわるいものは遠慮なく申し出て医療処置をうけるようにと声をかけている。
 なんと細やかな心遣いだろう。
 深刻化する民族浄化政策のもと、亡命者の数は年々増え続けていると説明があった。
 そして、彼らの生活保護のための資金繰りに困窮しているとも。


 映画として気になる点もある。
 チベット侵攻日韓併合を、一方的な価値観の押し付けという側面においては同じだという見方。これは、あまりに大雑把だ。
 具体的な根拠も史料も示されず、ただ「子供のころから聞かされてきた」というのだけがこの監督の日韓併合に対する情報であり解釈らしい。
 しかも、中国軍による侵略の様子や、中国当局によるチベット人およびその僧侶たちへの暴力・弾圧の証言やVTRを背景にそれを語るのだ。
 それら映像とナレーションの組み合わせが、どういう意図(効果)を生むのか。
 プロならば慎重に検討しているはずだが……。


 世界を旅して体験し、見聞を広めるのは大切なことである。
 けれど、体験や体験談にばかり重心をおくと、ほだされて歴史を見誤ることも少なくない。
 そのため距離をおいて精査する必要があり、そこに史料がいる。


 おまけ映像がおもしろい。
 この旅でつかった安い宿の案内である。
 部屋の中をぐるりと撮ると、ご当地のミュージック・ビデオを映しているテレビがあって、窓の外には町のにぎわいだ。
 これがすんごく雰囲気いいのね。
 そこで思ったのだが、思索もふくめてここまで個人的な旅ならば、もっとナマの個人を出してもよかったのではないかと。
 つまり、旅の資金源や出納、日程、宿、その日の食事と料金などもこまめに記録していったらさらに面白くなったような気がしている。
 体調の変化や、肉親からの電話など、本当の日記やブログのようにつづるほうがもっと良くなったのではないか。
 ジャーナリストでも歴史家でもないのだから、もっと等身大を。



 追記。
 いろいろのたまってしまったが、
 どんなに少なく見積もっても、チベット自治区と独立政府を題材にして映画を撮って公開した勇気。これは称賛に値するよね。

 
 ☾☀闇生★☽