平田真紀著『弱っていてもいける! 家からすぐの旅4』
ああ面白かった!
大満足。
西荻のニヒル牛で開催中の名物企画『旅本展』。
この企画の常連作家であり、旅本の代表選手ともいえる歌人・平田真紀の人気シリーズ第四弾。
ふりかえると、うっかり前作『3』の感想をアップし忘れていることに気づいたわけだが、すまん。気づいたままほったらかしにする。
今回の特色は、バスの旅だ。
高速バスじゃないよ。
路線バス。
目的地はテキトーだ。
テキトーであってこそ旅だろうし、この、自分をまるごと未知のなかにぶん投げた感じこそ平田式。
と勢いで書いてしまったが、すまん、そう決めつける。
内田百閒だって、いつかどこかでのたまっていたではないか。
具体的な目的や目的地をもった旅は旅にあらずと。
旅は単なる移動ではないのだし、
思い出作りだとか、成長のためだなんてもってのほかで。
へどが出たよ。中高生時代、やたら女子たちが「思い出作り」にはしゃいでいるのを横目に見てて。
思い出作りを目的に旅をするだんて、うんこするために飯を食うようなものぢゃないか。
不健全。
旅に失礼だもの。
漠然としていてこそ旅ぢゃないか。
平田流を見よ。
前情報なしに、地名の語感やら面白みやら偏見をたよりに路線から路線をリレーしていくぞ。
ずんずん行くぞ。
求めているのは、身近であり、なおかつ未知であることだけだろう。
あとおいしい食べ物と。
満腹感と。
おいしい食べ物と……。
で、旅とはなんぞやと。
『家から5分の宿に泊まるのは「旅」といえるのだろうか』
このシリーズでは平田流旅の定義を毎度冒頭に掲げているわけで。
それがまた簡潔で気持ちいいのね。
条件はたったふたつ。
それを満たしていれば、散歩でも徘徊でもなく『旅』なのだと。
たとえば今週末にでもさくさくっと実現できてしまうゆるさだ。
絵画の本質は額縁にあり。とはチェスタトンの言葉だが、
自由のミソは規律のあり方にあるし、
遊びの秘訣はルール設定にあるわけで。
けど、額縁(フレーム)も規律もルールもがっちがちじゃ、ぶちこわしなのだな。
まるで無いのはもってのほかだが。
大切なのは加減だ。ゆるさだ。
ゆるくても押さえるとこはきっちり押さえると。
これ、自動車のペダルと同じですな。
そのゆるさ加減を人は「あそび」と呼ぶわけで。
その条件は本編で確かめてください。
今回は『南多摩』を経巡った章があり、多摩川沿いに住むあたしにとっては馴染みのある地名が多くて、そのぶん臨場感に恵まれた。
それは、馴染みはあるが実は行ったことのない地名ばかりで。
電車や原チャやサイクリングなどでかすりはすれども、泊まったり、遊んだりしたことのない土地。
仮にそこがなんの面白みもない土地だったとしても、こういう旅の達人の感受性のフィルターを通せば、あら不思議、おもしろワールドに早変わり。
というわけにはいかない。
つまんない土地はつまんないんだ。
けど、そのつまんないでさえも、経験したかどうかが大きく違うわけでえ。
つまり『つまんない』も、旅の一部なのだな。
『おいしくなかった』だって、そうだ。
旅してるのだ。
平田さんは。
あたくしとしては最終章のカプセルホテル体験記が最高だった。
身を乗り出すようにして読んでました。
というのも未経験なんですな。あたくしも。カプセルホテルが。
ネットカフェで一泊というのは、先年経験しているのだが。
なんかね、そのときのわくわく感を思い出した。
となりのブースがジョシで、ヘッドホンで動画でも見てるのか、朝までずっとくすくす笑いと咳してて眠れませんでした。
そんなこんなを思い出して筆者といっしょに驚いたり、げんなりしたり、最終的に大笑いさせていただきやした。
めでたしめでたし。
昭和の終わりごろ、ヴェンダースが『東京画』というドキュメント映画を撮ってました。
ガイジンから見た日本の不思議さを堪能出来る映画で。
当時のゴルフの打ちっぱなしとか。
パチンコ屋とかが紹介されるなかで、たしかカプセルホテルもあったような気がする。
ヴェンダースは小津映画の中の日本をこよなく愛する人で、その古き良き日本との比較としてそれら昭和の都会を紹介していたので、過分に皮肉が押し出されていたのだけれど、ガイジン視点のニホンは、近未来の風情にあふれてました。
それは、手塚ワールドの清潔で無菌状態の未来像ではなく。
ブレード・ランナーが提示した、猥雑で退廃的な未来。
パチンコも打ちっぱなしも、どこか自分たちで自分たちを家畜化しているような。
その際たるものがカプセルホテルのような。
あ。
べつに否定的な意味ばかりで言っているつもりはないのですがね。
ちなみにあたしゃイビキをかくので、カプセルホテルはやめとこっと。
追記。
毎度思うのだが、旅本の感想を書くのはあたしにとって、ちょっとしんどい。
なんでだろう、と考えたことがなかったのだが、
たぶん、あれだ。
旅本自体が感想文だからなのだ。
感想の感想を書くからだ。
普通、本を読んで感想を書く場合、読書体験自体が『旅』といえるわけで。
ところが旅本の感想は、感想文の感想にあたることになる。
それは釣りをしている人を後ろから観察してあーだこーだの批評をのたまうようなものであり。
最近で言えば、ゲームの感想ではなく、ゲーム実況動画の感想をのべるようなものなのだな。
☾☀闇生★☽