この先、たとえ見すぼらしく老いていくとしても、
万が一、聞くに堪えないほどになってしまったと感じたとしても、
自分の趣味趣向からあきらかに離れていくと感じても、
最後まで、聞き届け、見届けたいんだ。
と彼は言った。
思春期に、その後の人生観やら価値観やらに良くも悪くも影響を与えてくれたミュージシャンについて、そう言い切ったのだ。
おそらくは、そういう心構えでそのミュージシャンを支持し続けているひとは少なくはないと思ふ。
ここまで達観すると、そのアーティストが無理をして懐メロやファンサービスをしてくれるよりは、心の思うがままに演っているのを見まもりたいものなのだ。
おそらくは自分を形作ってくれた人への恩返しというか、義務というか、使命のようなもので。
今の時代、悲しいかな、作品に付随して余計な情報まで入ってきてしまうものである。
ある意味、不幸だと思ふ。
むかしなら知らないなら知らないままに妄想で彩っていた表現者の身の回りから政治的な趣向まで、具体的に知ってしまうわけで。
で、こちらも大人になったぶんだけ趣向や主義は明確になっており、ともすれば知識も増えて、すると表現者との相違点もまた際立ってしまって、その差異が作品にもうけられていた余白、空白の清浄にいらぬちょっかいを出してくるのだな。
下手すると、主義が敵対してしまっている場合だってあるだろう。
それでも、支えるのだ。
くそったれ、と苦笑しつつ。
あたしの人生を狂わせてくれた人への、お返しだもので。
☾☀闇生★☽