死は、生の対義語かもしれんけれど、たぶん反対語ではないんだよね。
生きる条件として死があるのだし。
死を条件として生きてもいるのだし。
なので、死は怖く不安だから忌避しよう。考えない。というのは単に問題を後回しにしているだけなのだな。
死ぬのは嫌だ、戦争反対。なんて言説は、飛躍がすぎるということだ。
むしろ想像をめぐらして、仮想しておくことで、不安を和らげることができるんじゃないかと。
どうせ不可避なのだから。
いや、生の反対ではなく条件にすぎぬのであれば、それを考えることが生の肯定になるんじゃないかと。
かつての元服で教授されていたという切腹の作法は、そんなわけで、生の肯定の役割をはたしていたのかもしれない。
元服が忌避されたいま、あたしたちは実は無意識に、フィクションやファンタジーのなかでの登場人物たちの死によって、シミレーションしようとしているのだろうと。
つらつら。
☾☀闇生★☽