フランキー&ジョニー。

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 アマゾン・プライムで『フランキー&ジョニー』を観る。
 何年ぶりだろう。
 VHS時代で、その全盛期にあたしゃそんなビデオ屋に勤めておった。


 さらりと観られて、それでいてじんわり、ほんのりできる映画として店長推薦作にあげていた。
 もとは大ヒットした舞台だという。
 と聞いて、さもありなん、と頷くことうけあいな脚本の練られようである。
 無駄なく、小気味よく、軽すぎず、重すぎず。
 感動の度合いも『号泣』して後を引くような種類でもなく。
 いいとこつっつかれますよ。


 刑務所を出所したジョニーは調理の腕前をいかしてニューヨークの喫茶店に雇ってもらうことに。
 その店のウエイトレスたちはなぜかしらオールドミスばかり。
 なかでもフランキーは「二度と恋などするものか」と豪語するほどの傷を過去におったらしく、異性を警戒している。
 

 平たく言えば、その凍って閉じきったフランキーの心をジョニーが果敢に開いていこうというお話なのだが。


 この喫茶店で働く面々のなんと愛らしいことか。
 慎ましやかながら、実にいきいきした庶民像。
 人物の掘り下げ方やキャラ設定は三谷幸喜的で、舞台という額縁の中での役割分担を感じてしまうのだけれど。
 まあ、そういう映画ですから。
 

 セリフがいちいちいいとこをつつくのだなあ。


 ピザとビデオがあれば幸せよ! 
 オトコがほしかったらビデオデッキなんか買わないわっ! 
 ……だなんて、鼻から吹きつつ、いいとこ突かれた感があとからじわじわ湧いてくる。


 で、時代も感じますな。
 けど、あの時代にビデオが果たしていた『孤独の紛らわし』という役割が、いまやネットとかそーゆーとこへ移行しただけのことであり。
 むろん、この映画は『独りぼっちの未来』をネガティヴにとらえるという、古き良き健全さがあっての物語でもあるわけですから、それはそれでいいじゃないですか。
 で、どうなんすかね。
 いまSNSだとかに孤独の紛らわし感はまだあるのですかね。
 それだけ浸透したということなのか。
 どうなのか。
 などとブログにつづっているあたしはどうなんだと。
 



 あとこの時代くらいからだろうか。
 気のいいゲイの隣人という役割が映画のなかに登場してくるのは。
 ステロタイプといえばそうなのだろうけれど、
 ものごとは段階を踏みますものね。
 これまたこの時代の都会を舞台にした物語ならではの役割ではないでしょうかね。
 


 喫茶店の職場仲間のひとりが脚本家デビューするくだりがある。
 この俳優、ジャームッシュの『リミッツ・オブ・コントロール』の主役イザック・ド・バンコレではないの?
 彼のWikiには載っていないけれど、おそらくそうでしょう。
 まだ名が売れるまえのことだよね。


 ヒッチコックの『裏窓』へのリスペクトが良いねえ~。
 良いっ。
 でラジオだ。
 部屋のなかの家具と同等にラジオが鳴っているという日常。
 市井の喫茶店の調理人が世間話にシェークスピアのセリフを引用する日常。


 発表当時、A・パチーノとM・ファイファーの共演は『スカーフェイス』以来と騒がれていたっけ。
 パチーノ的にはこの前年が『ディック・トレイシー』と『ゴッドファーザーpart3』。
 この翌年に『摩天楼を夢見て』と『セント・オブ・ウーマン』。
 でたしかM・ファイファーはほぼすっぴんで挑んだとかそういう触れ込みもあったように記憶する。
 キャット・ウーマンはこのあとだったか。
 
 
 
 

 今観てもやっぱおすすめですな。
 肩の力を抜いて観られるこーゆー映画の存在は、大切です。






 追伸。
 そのビデオ屋の店長だったころ、
 『ジェニー&ファンキー』はないかと問い合わせがあったことを覚えている。
 『フランキー&ジョニー』のことではないかと考えてパッケージを見せたが、違うという。
 断じて『ジェニー&ファンキー』だと。
 半ギレでござった。
 今なお、わからない。




 ☾☀闇生★☽