「俺、浪花節だから」
と鎮西出身の先輩がのたまう。
彼。手取り足取りの不屈の思いやりを売りにしているが、要は他者に任せられないワンマンタイプであーる。
その発言が同僚のあいだに広まって「浪花節って何?」となった。
簡単に言えば、昔気質の義理人情といったところだろうと推測された。
けれど、江戸っ子の義理人情とはまたちがうニュアンスがある、とも感じている。
前者には汗と涙の不屈のねばりごしがあり、後者にはさらりとどこ吹く風のさりげなさがある。
という見なし方は、きっとあたしの偏見にちがいない。
なんせ浪花である。
難波であり、
浪速でもあるのだな。
で、思ふのだ。
はたして義理人情などというものは自称する性質のものなのだろうかと。
「俺、愛妻家だから」
と何百回自称しようが、肝心の奥さんに伝わらなければ意味がないように。
愛妻弁当と愛情弁当は似て非なるものであるように。
ましてや、それがうまいかどうかはまた別の次元の話であるように。
精神的・味覚的・栄養学的、それぞれの意味においても違うように。
すくなくとも自称すべきものではないのではないかと。うん。
その鎮西人の浪花節弁当。
周囲の感想はおしなべてこうである。
「しつこくて、こまかくて、めんどくさい」
自称の反復が的外れな自己暗示にならぬよう。
お互い、気を付けませうね。
☾☀闇生★☽