河向こうの隣町のブックオフまで自転車で。
ヒマに任せて渡り歩いていたネットで、FF9が実は傑作だったとかいう話が出ていて。
夜勤明けの酔いざましにぶらりとこぎ出したチャリ散歩に根拠をつけるべく、えっちらおっちら橋を渡る。
発売当時、身近にいたゲーム&アニメオタクが「無駄に長い」とかなんとかのたまっていたので、興味は削がれていた。
というか、ああいう大メジャーな流行りものというのは、自分の好き嫌いからの好奇心ではなく、とりあえず舐めてはおこうかという浅ましさからあたしゃ寄せていっており。
それはつまりはどれだけ自分が世間からズレているかという確認行為でもあって。
たとえばおしんとか、E.T.とか、ガンダムとか、ドリフとか。
X-FILESとか、ドラゴンボールとか、ツインピークスとか。
エヴァもそうか。
同時代のばすなのにあたしにはすっぽり抜けている。
んで、後輩に教えられるようにしてFF7をやってみたことがあった。
ラスボス前で、尽き果てた。
興味が。
だもんでそこからクリアまで、それはさながら苦行といった態ではあったが、なるほどと得るものも少なくはなかった。
ともかく、主役がシリーズ定番のガクト然としたイケメン系ではないというところに、興味を抱いた。
そこをあえて衝こうとした作り手の野心に敬意を抱けるのではないかと。
いや衝かれるままに進んで抱いていこうと。
なんかね、ああいうイケメンたちが、あんな格好して、ああいうとんがった髪のセットをキープしたまま砂漠やら氷河やらジャングルを冒険してんのがね、恐くってね。
正気の沙汰ではないと。
まあいい。
結局、買わずに帰った。
『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の新訳版と村上春樹のデビュー作を買った。
旧訳版とは、いまだに距離を縮められずにいる。
春樹への興味もまた上に同じで、あの人、あまりにも売れすぎたのである。あたしにとっては。
デビュー作は高校のときに目を通してはいた。
その物語は胸に欠片も残ってはいないが、雰囲気とJ's Barのカウンターで飲んでいる野郎ふたりのノリだけは、いまでもおぼえている。
んが、それが小説の核なのである。
箇条書きに説明のできてしまう筋書きだけではなく、経験として、匂いとして、古傷のうずきとして残るというのは、宝だ。
帰宅して、横になって読む。
あれよあれよと半分を読み終える。
一気食いというのは、品がよろしくない。
オーブンでやっつけた玉ねぎとピーマンでチューハイを、やる。
人というのは、
筋書きとして記憶されるばかりではない。
☾☀闇生☆☽