夜勤明けで、デヴィッド・ボウイのトリビュート動画をはしごしてたら、泣けてきた。
缶ハイボールをやりながら、
マドンナとかエルトン・ジョンとかスプリングスティーンとかのをぼんやり見てたのだが、
メリッサ・エスリッジので涙腺決壊す。
あかんな。
なんかね、シンガーとしてではなく、彼が闘ってきた一面が浮き彫りとなってね。
うん。
でこのニューオリンズでの動画で、なにごとか納得すと。
カヴァーというのはね、
足したり変えたりすることで演者が己のエゴを満たそうすると失敗するもので。
むろんそういう楽しみ方や成功例も少なくないのですが。
足しも変えも曲そのものの良さを引き出してこそである。
ならば、むしろ望まれるのは引き算ではないかと。
原作者・演者のスター性やスキャンダリズムを削ぐことで、着膨れをなくし、いったん曲そのもののすっぴんを拝みましょうと。
そーゆーことじゃねえかと。
ああ、こんなにいい曲だったんだ、と。
再会させる効果があるわけでして。
☾☀闇生☆☽