有名人が、不祥事などでテレビから干されたとしても。
ミュージシャンなら、
仮にディスクやDL販売が出来なくなっても、ライヴで表現活動はできますわな。
嫌な奴は観に来ない、聴きに来ないから、やっかみも苦情も少ないし、まあかわし易いと。
大衆は、アクティブにならなければ彼と彼の表現には触れられないのだから。
テレビさえつけとけば節操無くたれ流されて耳目に入りこんでくる状況とは、違う。
というか、それが音楽家と聴衆のあるべき関係ですわな。
音楽する場での歌唱や演奏を通じたつながりが。
同じように芸人や俳優なら、舞台がある。
評論家や小説家なら、文筆業がある。
でもタレントっていうのは、どうなの?
テレビというフレームの外で、どうあるべきものなのか。
なにかのイベントに出演しても、テレビありきでしょう。
ああ、テレビタレントだっ。っていう、いわばありがたみ。
その辺を物差しに、その肩書が自称なのかどうかがはかれるのではないかと。
元芸人の現タレントっていうのも、よく目にするよね。
まあ、それがわかったとこでどうってことないんだろうけれど。
ただ、芸人や音楽家や小説家が、たかだかカウチポテト基準の放送コードなんぞに遠慮してんのも、どうかと思ったりする。
どっちが本業か、忘れているのではと。
テレビはバイト、ってう感覚を持っていないと表現の切っ先が鈍るぞ。
だもんで、
テレビタレントがテレビでテレビの必要性を語るのは、意味が無い。
狂信者が顔をさらして教祖のまえで教団を語るようなものでね。
お前がどんだけテレビを崇拝し、賞讃しても、テレビはお前のことなんかなんとも思っていない。
いざとなったらぽいっ。
教祖テレビは正体不明のカウチポテトに隷属している。
それはともかく、芸とか、手に職とかもたないっていうのは、つらいよね。
昨日は夜勤あけを叩き起こされた。
スーパーの駐車場誘導員に欠員が出たとかで。その応援に。
俺が俺がのゆずりませんと君や、サンデー・ドライバーや、左折入出庫を守らないのばっかで、疲れるわ。
で、今夜も夜勤す。
☾☀闇生☆☽