壁の言の葉

unlucky hero your key

不滅です。

 実際にSMAPの解散騒動になにかしらの感情をゆさぶられているのは、どういう世代なんだろう。
 ジャニーズ事情、アイドル事情、テレビバラエティ事情にうといあたくしにはピンとこないのは当然なのだけれど。
 それでも知ってるのだわな。
 メンバーの顔と名前は少なくとも知ってる。
 で、その代表曲のいつくかは、口ずさむこともでき。
 (そのうちの一曲は高橋幸宏が、もう一曲は矢野顕子がカヴァーしているもので*1。)
 まあ、でかい存在であることは確かなんだろうなあ。


 所詮はニンゲン関係であるからして、こじれるとなかなか元には戻らないよね。
 ただでさえどんなに親しい仲でも、成人してなお「長く一緒にいる」というのは本来は不自然なことなのだから。
 険悪になる最大の原因は「一緒にいる」ことだと思う。
 具体的な原因さがしをすれば、そりゃあいろいろ出てくるだろう。
 んが、あたしに言わせればそんなのはたかだか自覚できる表面上のことでね。

 
 人間関係というものには風通しのための距離が、どうしてもいるの*2
 それを無理に社会的にくっつけておくのだから、ね。
 窮屈だわね。


 グループにしろ、バンドにしろ、コンビにしろ、集合体というものは対外的には攻守に強い。
 んがその反面『縛り』でもあって。
 ましてや、ある程度の成功という共通目標を達成したあととなると、おのおのの興味や価値観は自分または別々の方向へ向き始めるのは当然であって。
 尊王攘夷、倒幕で一致団結した薩長土肥の足並みも、維新でそれが達成したとなったとたんにガタガタになったようで。 
 それでもなおひとつの部屋に押し込めるとなると、それはもう義務というか、惰性というか。おつとめというか。
 淡々としたお役所仕事になる。


 ほかに野望があるとすれば、イライラするよねえ。


 たとえばこれがJazzグループの問題なら、こうまで騒がれない。
 彼らはまず『個』ありきなのである。
 ドラマーが変わろうが、トランぺッターが変わろうが、人気ロックバンドのような騒動にはならない。
 ウデ(技能)ひとつで渡り歩くのである。
 もちろんそんなアクの強いミュージシャンの組あわせに妙があるので、定番や人気の編成はあるのだが、変にこだわったりはしない。
 

 ということは、解散や脱退やメンバー変更が騒動になる種類のものというのは、『個』として成立しない部分を補いあう、そこを堪能するものなのだろう。
 


 ただねその辺をモー娘。とかAKBとかはうまく切り抜けてきていて。
 卒業という方便で新陳代謝をつづけている。
 で、その代謝の影響を最小限にするべく、メンバーを多めに確保すると。
 単純に考えて、たとえば5人グループで1人が脱退となると1/5の影響だが、20人グループでのことなら1/20である。
 当人の人気度によって実際の影響は変わるのだろうけれど。
 そして間髪入れずに新メンバー加入と。
 こうやってプロ野球球団的にグループをみなしてしまえば、ファンの流動も極力おさえられると。
 メンバー同志の競争心、向上心も休まないと。


 5人のSMAPでそれをやるにはやはり酷なのか。
 卒業、という方便の脱退ね。
 解散も、そのやり方でひとりずつ時間差でやっていけばすんなりいったのかな、とも思う。
 あるいは歌舞伎のように、襲名でいくとか。
 つまり『卒業』しても、その芸名は残って次なる新メンバーが襲名すると。
 2代目木村拓哉、とか。
 5年くらいかけて全員いれかえちゃうのね。
 4代目が好きだったとか。わたしは先代の慎吾が好きだったとか。不滅になる。




 でもやっぱり、この5人じゃなきゃだめっという、これっきりというクロージングが働いているんでしょうな。




 追記。
 たとえば夫婦もそうですな。
 恋が冷めてもなお子供の成長とか、共通の目標のもとに団結しますな。
 恋は熱情で勝手にどうにかなっちゃうものですが、愛はそれが覚めてから問われるものですな。
 子供が巣立ったあとも、夫婦は続くのです。
 いや、仮に夫婦が壊れたとしてもだ、わが子の親のうちの片方であるという事実はつづくと。
 つづけていくと。
 恋が革命なら、愛は統治体制ができあがったあとの、単調なる維持保安の日々なかで執拗に問われるべきものです。
 100m走とトライアスロンくらいの差があります。





 ま、あたしゃひとりもんですが。
 



 追記。
 たしかに『一蓮托生』なんて言葉があります。
 また『一心同体』なんて言葉もありますが、それは裏返せば長い時間を意気投合しつづけるということがいかに至難であるのかをあらわす、儚い理想としての言葉なのですな。
 ニンゲン、どんなに好き合っても、ひとつの身体にはなれません。
 他者を実際の腕や脚のようにすることはできません。
 ましてやひとつの心にもなれません。
 なったらなったで、それは自分をなくしたということでカルトな集団ということ。
 完全には理解し合えないことを理解し合うことでしか、お互いを尊重した長い付き合いというものはできっこないのです。
 
 


 ☾☀闇生★☽



 
  
 
 

*1:前者は『どんないいこと』アルバム「Portrait With No Name」収録、後者は『しようよ。』アルバム「Home Girl Journey」収録。

*2:追記。なんでもこういうのを『ヤマアラシのジレンマ』とかいうらしい。くっつきたいのにお互いの針が邪魔をすると。フロイトが名付けたそうな。