いわゆる日本の『サヨク』の反戦平和主義というのは、日本人の価値観の根底にある『穢れ』への意識からきているとする著者の炯眼に畏れ入る。
その性分は歴史のなかで目鼻がついたり尾ひれをつけたり、儀式化・形式化されて神道のケガレ思想へとなっていったのにちがいない。
戦争、殺し合いはケガレ。
ばっちいと。
しかし戦争や暗殺やクーデターなどの現実の負の面は、歴史的に逃れられないのも事実なわけで。
よって皇族は次第にそこに距離をおこうとする。
自ら剣をとらず、ばっちい仕事は他者にさせようと。
つまり戦争を他者にやらせるようになった。
結果、武士の台頭がある。
やがて時代は戦国となり、武士の世となった。
んが、
君臨する者はケガレていてはならないとする考えはゆるぎなく、天下をとってもなお武士は天皇にとって代わったり、天皇制を廃絶したりはしなかった。
現実というものがあざなえる清濁の二面で成り立つとするならば、その清の面は、歌を詠み、五穀豊穣を祈り、儀式に生き、俗なるものから距離を置く存在にあずけることで、乱世にも耐えうる不可侵の価値基準を保とうとしたのだろう。
かわりに、より現実的な濁の面を、たとえば権力と闘争と欲とを、政治が受け持つことにした。
ヨゴレ役である。
俗なる面は、あっしらが請け負いやしょうと。
お嬢さんの切れた鼻緒を直すあいだ、ここに足をおつきなさいと懐から手ぬぐいを出して地面に敷いた。
こうすれば仮に政権が腐敗し、交代しようが、秩序の心棒までは乱されない。
汚れた手拭いは嗅げばいい。
もとい、替えればいいのであーる。
徳川が天下をとって太平の世がくると、家康は体制を盤石なものにするために忠孝のエッセンスを『儒教』の流れを汲む『朱子学』から取り入れ、同盟国や配下にひろめた。
反逆の芽が芽吹かないように下々に忠義の概念を浸透させようとしたのである。
しかし本場の朱子学では支配者や上司よりも親を尊ぶ。
そこで日本版の忠義は、徳川体制に都合よく翻案されることになったと。
幕末になってこの忠義の精神が見なおされ、本当に仕えるべき主君とは誰かという議論が興る。
武力で、つまりケガレでのし上がった徳川じゃねえだろう。
それが尊王思想になる。
徳川がひろめた忠義の精神が結局は徳川を滅ぼすことになったのである。
ともかく、ケガレと反戦。
なるほどと思った。
革命思想も無く、肚のすわりも感じられない彼らの印象は、それに違いない。
ばっちいのだ。
えんがちょ気分なのだ。
えんがちょに理屈もなにも通るわけがないではないか。
反核も、あるときから『ケガレ』と認識したから、えんがちょした。
えんがちょ気分だから自分の国さえケガレてなければ、他国が軍隊を持とうが核兵器を所持しようが抗議しないのだ。
ちなみに本書では、「永遠に許さない」とする隣国の『恨』を儒教国の性分であるとみている。
ようするに「水に流す」という概念自体が無い。
死ねばみな仏さま、も無い。
ゆるす、ことが無い。
宋の時代の英雄、岳飛を貶めた奸臣・秦檜(しんかい)を、いまだ縛めた姿で石碑にし、そこに唾を吐きかけつづけるのがその国民性なのだ。
日本人のケガレへの意識と同じように、そこに理屈は通らない。
ちなみに書いていて思ったのだが、日本人の謝罪癖も当人によるケガレ意識ではないかと思う。
水に流してお清めしたいのだ。
☾☀闇生☆☽
初見の感想はここに書いてました。
壁の言の葉 ビーフカレーの和。
☾☀闇生☆☽