司馬遼太郎著、短編集『果心居士の幻術』新潮社文庫 再読。


・果心居士の幻術
・飛び加藤
壬生狂言の夜
八咫烏
・朱盗
・牛黄加持


 以上六編収録。




 記録にのこされた伝説的忍者ふたりを描いた表題作と『飛び加藤』がおもしろいのはむろんのことだが、今回は『八咫烏』が強く心にのこった。
 建国の神話を司馬ならではの解釈でつづった一編である。
 東征するワダツミ族を先導したという伝説の鳥『八咫烏(ヤタガラス)』。
 その鳥を、征服されるがわである出雲族の血を引きながらワダツミに生きる孤独な男として描く。
 差別されながらも健気にワダツミ族への忠誠を誇示し、同化したがる八咫烏のかなしきヒトリが沁みた。
 当人がいくら自分をワダツミ族であると思いこんでも、周囲は誰ひとりとして彼を仲間とはみとめないし、女たちはその血を忌避して関係をこばむ。
 なので自分の血のルーツであるはずの出雲への侵攻を、率先して先導することで、彼は族内でのアイデンティティを確保しようと躍起になるのだ。 
 これは、古墳に埋蔵された朱を盗もうと数代にわたって穴を掘りつづける男の話『朱盗』の穴蛙(アナカワズ)のゆるぎのないヒトリとはまた違って、同化しようとする弱さが心に残った。
 嗚呼、見ないでおいてやろう、と思わず感じるほどの弱さだ。





 日がな一日雨であった。
 こういう日は、借りておいたDVDを観ようと思う。
 んが、最近はいつも先のばしにしてしまう。
 歳を経るにしたがって時間を惜しむようになっているのであーる。
 それと、労力か。
 ケチになっているのだな。要は。
 観賞している時間そのものはたいしたことはない。
 ところが、うっかり感動なんぞしてしまったらどうすんだと。
 で、なおかつそこからわき起こった連想が連想を呼びよせて妄想に至っちゃったりしちゃうと、疲れちゃうのだわ。
 んで、
 観た以上は公開するしないにかかわらず、そして激賞する・批判するにかかわらず感想文にしてやらねば作品が成仏しないわけで。
 たとえ酷評であっても、少なくとも反応のひとつではあるのだし。
 反応すらない無視、というのは作り手へのマナーを欠くと。
 で書くと。
 それがまた時間を使うのだな。
 カロリーも使う。
 時間もカロリーもどんだけ消費しても、なにひとつ見返りがない。……とケチなことが頭をよぎってしまうのだ。






 有体に云って、めんどくさいと。






 ともかく、
 今夜『おおかみ子供の雨と雪』を観た。
 前回ここに感想を書いた『さや侍』と一緒に借りていたから、どんだけ〜、である。
 これももはや死語である。
 だれが殺したのかは知らないが、どんだけ〜である。


 感想は必ず書く。
 けどそれをここに晒すかどうかは、知ったこっちゃない。





 ☾☀闇生☆☽