平和を切念する気持ちがいつしか運動化して、時に戦争を生むこととなるように、差別を忌避する賢しらな分別が差異を際立たせ、往々にして自他を隔ててしまう。
 落語のなかじゃ、解決済みのことなんですがね。
 なかなかどうして。











 追記。
 うちの母がね、
 そうそう、こういう人だ。
 どういうって、見た通りを屈託なく真似て報告するんだ。
 それはもうね、その日出会った犬だろうが、ネコだろうが、道ばたで泣いていた子供だろうが、ガイジンだろうが、その場で演じて再現してみせる。
 昔ビートたけしがバイクで事故ったあとの会見の様子も、わざわざ顔真似で語って見せたくらいで。
 だからいわゆる障害者にも容赦が無く。
 母のそんなところを、離れて暮らす姉はかねてから身咎めていたらしい。
 先日あたしにふとこぼしていた。
 子を育て、のちに仕事として養護施設にかかわるようになって、そのあたりの感覚が敏感になったよーで。
 けど、どこか差別に対して過敏になった感があって、デリケートな問題については彼女の前ではことさらデリケートに扱うようになった気がする。
 少なくとも「冗談」にはできない。
 ううむ。
 窮屈な正しさを感じる。
 それってどうなんだと、思う。
 
 
 



 さらに追記。
 余話として。


 あんだって?
 平和っつった?
 ガードマンの身の丈の、その足りないオツムで考えればだ、たかだか歩行者通行止めの迂回おねがいだけで、あれだけ人はいら立つのだ。
 電車がおくれただの、せっかく並んだのに限定販売の商品が自分のぶんまで無いだの、無料配布のなんたらがもらえないだのと。
 たかだかそれくらいで人は暴力的になれる。
 そういう連中(世間)が鼻をふくらませてのたまう平和だなんて、あたしゃ信じないね。
 それは「お前の平和」を言ってるだけじゃないのかね。
 お前にとって都合のいい平和を。
 大概の戦争がそういった『俺流平和』の押しつけ行為に過ぎなかったのを忘れちゃったのかい?
 平和は、必ずしも戦争の対概念にはなりえないのであーる。


 ん?
 戦争?


 それは戦争の『戦闘』の部分ばかりに気を取られてはいないかな。
 気づかぬまま、気づけぬまま、平穏無事に無限撤退をつづけることは、誰の平和かな?
 まさか忘れたわけでもあるまい。
 戦争すらできずに、させてもらえずに、いまも命がけの抵抗をつづけている国々(地域)を。
 戦争が自由への権利としての一面を持つことを。
 
 
 
 



 ☾☀闇生☆☽