平田真紀著『レモンの島へ』手製本






 今回は新刊を二冊も持ち込んでいることに驚き。
 あ。こっちも新作かよ。と見つけたときは、えも言われぬお得感でござった。


 先日ここに感想を書いたもう一冊
弱っていても行ける! 家からすぐの旅 2
 では『旅』というものの解釈をおっぴろげ、裏返しちまうことで、日常という普段着を「よそいき」として楽しんじゃおうと、要はそういうことだったと思う。
 それは裏庭を砂丘に見立てて遊ぶ少女の、三輪車のドリフトのごときダイナミックさがあった。
 いや、たとえが的を得てないな。
 長年そういうもんだと思いこんで着古してきたジャンパーを
「それ、裏返しじゃん」
 と教えられたような。
 これもどうだか。
 ともかく、このもう一冊の方は至極まっとうに『旅』をしているのであーる。




 正統な『旅本』だ。




 まずタイトルからしてどうだ。
 レモンの島へ。
 奇もてらわず、そしてギャグ的なウケもねらっていない。
 そして「へ」で終えている。
 目的があるではないか。




 目的をもってする旅は旅にあらず。




 そうのたまったのは、たしか内田百けんであったと記憶する。
「山を見に行く」
 という目的があるなら、それは「山を見にいった」のであって、旅ではないと。
 目的なくしてする旅こそ本当の旅であるとかなんとか。
 うんたらかんたら。
 しかしそれは百けんほどの旅の達人になって初めて到達できる境地だろうに。
 なんでも来いと。
 いや、なにもなくともちっとも退屈なんかせんぞと。
 ところが我々凡人にはなかなかその域に至れない。
 だもんで、とっかかりを設けたがる。
 つまりが目的を作る。
 たとえ「自由課題」であっても「My課題」くらいは設けなくては、はじめられないのだ。
 ナンパしまくるぞー、でもいい。
 名産品たべまくるぞー、でもいい。
 雪が見たい。
 海が見たい。
 人に会いたい。
 あれしたい、これしたい。
 遠くへ行きたい……などなど。




 目的。




 それが旅を失敗させない最低限の秘訣なのに違いないのである。
 なにもなかった、で終わりたくないものなのである。
 当然、他人に決めてもらうなんてのは「目的」にあらず。
 自分で決めてこそ目的なのだ。
 ただし、欲の張り具合をあやまって、厳格には決め過ぎないことだ。
 ときにアドリブを適度にかませる余白くらいはふんだんに設けて置くのがコツ、なのだろう。
 あくまで旅は「遊び」なのだから。
 やらされ仕事や流れ作業やお付き合いであっては、つまらない。
 そして遊びとはルールあってのものであり。
 しつこいが、遊び上手はルール作り上手なのであーる。




 レモンの島へ。




 いいじゃないすか。
 明確す。
 して、その目的は具体的なほど、旅人の思いは強いわけで。
 手段を模索せずにはおられないわけで。
 おのずと計画の精度があがるというもの。
 旅の時間が濃くなり。
 結果、本がひきしまる。
 これっす。
 一読して、わかった。
 文体が、姿勢をただしておられると。
 マジだぞ。この旅は。
 単なる日常からの逃避という消極的な旅ではなく、あられもなく積極的な『旅』でござった。


 レモンの島。
 とは生口島(いくちじま)のことだそうな。
 そこは広島県、瀬戸内海に浮かぶ「瀬戸田レモン」の産地なのである。
 以下、各章の見だしだけを紹介しておこう。


木になってるレモンがみたい!
どうやって瀬戸田まで行くか?
宿泊は「レモン風呂」の宿
ゆるゆるスケジュール
順調すぎると怖くなる
旅行者のためになんか誰も生きてない
頭に花が咲いちゃった
もうイヤ、日本旅館
幻のシトラスパーク
海、レモン、日差し
この島の役に立つには
食べきれないのは悲しいぞ
さよなら、またいつか


 ざっとこれ見ただけで、想像できるでしょ?
 いかに旅本として充実しているかが。
 好奇心が目的を得て旅に出たはいい。
 けれどそこは歌人平田真紀である。
 目的なくして旅は始まらないのだが、目的の達成だけでは旅にならないのも熟知している。
 百けんの言いたかったことは、つまりはそういうことではないのかと。
 醍醐味は道草にあると。
 迷い道にもあると。
 どちらも目的あってこそ、目的から逸れることで成立する。
 いや、なに、地理的な意味だけを言っているのではなくてね。
 旅の収穫は、物質的なものだけじゃあないのよね。
 人のぬくもり、みたいな綺麗ごとばかりでもないのよね。
 道中にある旅館のやっつけサービスや振る舞い、地元民と観光屋と観光客の温度差とかいう『陰』も、それとはなしに視ているのだ。彼女は。
 ばかりか、そこにちゃんと感情を発動させている。
 感情的になる、
 というとネガティヴな印象があるが
「どうせよそ者ですから」
 といった客観ぶった知らんぷりもどうかと思う。
 そこいくと彼女は旅人という等身大をわきまえつつ、
 ちゃんと怒るし。
 ちゃんと楽しむし。


 だもんでちゃんと食べることばかりでなく、
 ちゃんと出す、も書いちまう。
 そこは容赦ないぞ。
 それらもすべてひっくるめて『旅』の収穫なのだ。


 どーだ。
 これだけ充実して数百円だ。
 しかもホチキス止めの手製本だ。
 お手軽に書き散らせるブログでは、まず、この感触は伝わらないでしょう。
 実際に生口島へ、これをガイドブックとして携えて行くというのもアリかもしれません。




 追記。
 旅と目的。
 そうだ。
 石川浩司の著書に『すごろく』で行先を決めて旅をするシリーズがあった。
 ううむ。彼もまた達人のひとりなのでであーる。


 更に追記。
 そういや旅をつづった本は昔から好きだった。
 司馬遼太郎の旅本、というより紀行文学『街道をゆく』シリーズ。
 つげ義春の『貧乏旅行記』
 上温湯隆の『サハラに賭けた青春』『サハラに死す』
 テレビでも『シルクロード』はテッパンだったし、
 近年でもカメラが旅人の目となって、アジアの裏路地を旅するのがありましたな。


 スタンプラリーなどのイベントを見かけるたびに思うのだが、
 要はああいった企画も、旅に『目的』だの『動機』付けを欲っする日本人の習性が現われているわけでありぃ。
 らくなんすよ。
 課題を課せられた方が。
 古くは『お伊勢参り』がそういうこってね。
 物語としての西遊記の楽しさは、目的である「ありがたいお経」は方便にしてこそだ。
 お経の内容なんざ、知らん。
 近年ならRPGですわな。
 目的のラスボス戦前にどこか鼻白む思いになってしまうのは、旅が終わってしまうからでございましょう。
 なーんだ、旅自体がメインディッシュでござったのかと。
 ま。
 うんぬんかんぬんで。
 



 


 その4につづく。



 ☾☀闇生☆☽