ファン・ホセ・カンパネラ監督作『瞳の奥の秘密』DVDにて
アルゼンチンから良質な『大人の映画』が届けられた。
刑事裁判所を引退した男、エスポシト。
初老にして独身の彼は、リタイア後の長く孤独な時間を小説の執筆についやしていた。
舞台はブエノスアイレス。
題材は、現役だった25年前(1974年)にみずからが手がけつつも未解決におわった、とある殺人事件である。
正義感みなぎる銀行員の新妻が、性的暴行の果てに殺害された陰惨な事件であった。
頼れる相棒は酔いどれのパブロと、キレ者の女上司イレーネのみ。
迷宮入りかに思えた事件も、三人の奔走が功を奏して一旦は解決したかに思われた事件であった。
しかし、
とある理由を盾に、権力の壁に遮られ、犯人は無罪放免。釈放されてしまうことに……。
小説は、恋に対して不甲斐のなかった過去を成仏すべく、イレーネとの理想の恋を織り交ぜて綴られるのだが、いつしか事件の謎の迷宮に巻き込まれて……。
以下、ネタバレ。
ホントにネタバレ注意。
被害者の夫モラレスは、偏執的ともいえる正義感の持ち主であった。
それゆえ復讐心も不屈で。
本編中のセリフによればアルゼンチンに死刑は無いそうな。
そして彼もまたそこまで復讐に燃えつつも「死刑」を認めていない。
どんなに極悪で憎い相手であっても、あくまで終身刑こそが最高刑であるというのを信条としている節がある。
ならばモラレスは「人権派」?
という浅はかな解釈をしてしまいがちな観客の蒙を、オチでずどんと衝くというのがこの映画の仕掛けなのであーる。
このあたり、あたしと考えがまったく同じだったので、新鮮味はなかったが、ストンと腑には落ちたね。
とりわけ犯人ゴメスが『私刑』の獄中からエスポシトにする懇願が、その絶望を端的にあらわしていた。
「頼むからひと言でもいいから声をかけてくれ、と(モラレスに)頼んでくれないか」
モラレスは25年間、独房のゴメスにひと言も言葉をかけていないのだ。
注射ひとつで眠るように済ますことのできる死とは比べものにもならない遥かな絶望が、そこにある。
一切の言葉が無く、ただ生存させられているという苦痛。
身を持って痛感する「生きてるだけで幸せ」という欺瞞。
身も蓋もないその自己暗示。
ただ生存しているだけでは、人は人になれないのである。
情報の受信と発信。キャッチボール、思索の新陳代謝なしに活きるのは難しい。
とどのつまり言葉無しに生きる活きることは、できないのである。
存在を無視されることほどの苦痛は、そう無いだろう。
ただ、そうなると演出として疑問が残る。
ゴメスは衣服を与えられていた。
ならば看守であるモラレスの留守を狙えば、それらを紐につかって自殺もできる。
あるいは舌も噛み切ることだってできる。
死を、自らの意志で選ぶことができるということは、それ自体が『自由』なのだ。
同じ死刑でも切腹と打ち首でおおきく名誉が異なるのは、そこである。
自由を手にしているということ。
死(すなわち生)を、自分のものしているということ。
それさえも奪い上げたなら、モラレスの残酷なる正義感とゴメスの絶望はより際立ったことだろう。
余談だが、
北野武版の『座頭市』での決着のつけ方は、この死生観の上にある。
悪人の手下どもは容赦なく殺しても、ラスボスは殺してもやらない。
一生めくらで生きて苦しむように、目だけを切って立ち去っている。
最後に、
大多数の観賞者が異口同音に述べている通り、主役のリカルド・ダリンが素晴らしい。
行頭に『大人の映画』などと、あたしらしくもない言葉を臆面もなく使ったのは、彼の大人の魅力に押し切られた形である。
この手の言葉は、本来ギャグとして使うのが望ましいのであーる。
音楽、印象的でしたな。
ネタバレ追記。
犯人の自白に至るイレーネの誘導尋問って、どうすか。
無理がありすぎませんか?
胸チラを凝視していたということだけが、根拠なんすかね。
仮にそこから鬱屈した性癖がうかがわれるとしても(それも強引だけれど)、旧知の異性をレイプ殺人したと確信するのは、どうなんだろか。
しかも彼女は法律家よ?
プロよ?
根拠が『直感のみ』というのはあまりに無謀すぎる気が……。
いや、
あれは書きかけの小説のなかのくだりだったんでしたっけ?
それと指紋や硝煙反応……などなど、の科学的捜査の視点が無いよね。
74年のアルゼンチン警察の科学捜査能力って、どの程度だったのか知らないけれど。
そこはちょっともどかしい。
☾☀闇生☆☽