南條範夫原作、山口貴由漫画『シグルイ秋田書店 全15巻読了


 徳川三代将軍家光の実弟忠長は、その居城駿河城にて二十二人十一番の真剣試合を開いたと言う。
 その決闘の様子を記す『駿河大納言秘記』なる史料を元に執筆されたとされるのが、本作のもととなる『駿河城御前試合』という小説だ。
 本作はその十一番の取り組みのなかから虎眼流剣士 藤木源之助とその宿敵 伊良子清玄の死闘と、それに至る二人の因縁を描く。


 原作者南條範夫はなんでも『残酷』という状況にこだわったのだそうだ。
 たしかに藤木源之助は隻腕となっても闘いに挑むし、伊良子清玄に至っては策略によって全盲となり、なおかつ片足の自由を失くしてまで剣を極めんとする。
 それでいて暗君忠長の絶対的な権力のもと、死闘を見世物にされるのである。
 思うに、この暗愚なる者が人の上に立ってしまうことが世の悲劇を、そして残酷を生んでいるのではないのか。
 忠長の暴君ぶりがその臣下や領民に与えた不幸もそうだが、虎眼流の当主岩本虎眼の発狂もまた、彼を狂信する弟子たちに残酷を強いることとなった。
 むろん、腹を斬り、首が飛び、口を割かれ、顔の皮をはぎ、乳首をむしり、乳房を焼き、といった直接的な暴力としての残酷描写も頻出はする。
 それはもうやたらめったらである。
 んが、
 それもまた権力にのまれて泥酔した愚者が醸し出す時代の狂気(空気)の所産なのではないのかと。


 はたしてそれがどれほど『民度』とやらに影響するかは、知らないが……。
 あるいはその酷薄無情な状況に民度のぬくもりが差すことで、人情という価値観が光るのかもしれない。


 また、残酷を読者の生理に訴えんとするためか、痛みの媒体としての肉体(裸体)がやたらに描かれる。
 一見必然性の感じられない場面でも、とりあえず裸が描かれるのだ。
 一皮むけば人はみな裸であるという弱さが、まるで残酷を導き出しているかのように。
 モノローグともなれば、それが『胸中』であるということの漫画的表現なのか、人物は裸になる。


 しかしそう踏まえてすら、裸の頻出も、肉塊の飛散も、あまりに多かった。
 げっぷでちゃった。
 そのため、読者の痛覚はクライマックスに向けて次第に麻痺してしまうのではないかと。
 いや、食傷する恐れすらあると感じた次第でござると。




 得体の知れない熱気にほだされて、15巻イッキ読みでござると。


 ☾☀闇生☆☽