それも無駄に長い人というのが、いる。
 いますとも。


 大概において彼は人が良い。
 心配性で、
 慎重派で、それゆえ打ち合わせは執拗だ。
 しかもその話し方は立て板に水というような流暢なものでも、
 また脱線から脱線を継いでリンクからリンクへ、連想から飛躍へ、雑学から物理学へと知的翻弄を縦横無尽に展開した挙句に、コンビニのおでんの匂いでむせかえるような庶民サイズなオチへと収束させるマシンガントークでもありゃしない。
 言葉を選び、
 念を押し、
 ぶつりぶつりと自問自答がてらに同じ要件を繰り返す。
 なので、周囲はときに辟易させられる。
 おそらくは頭に浮かんだネガティヴ(危険性)や可能性をすべて言葉にしないと気が済まないのではないだろうか。
 こういう人がドライバーの横でナビをしたりすると、めんどくさ〜いことになるわけでして……。


「この道を『』レーンで行くと○○方面にいってしまいます。まあ、でも本線に戻れないこともないですけど。あくまで方面なのでえ。けど『』はやめといた方が。交差点、信号でまたされるし。面倒でしょ? たぶんこの時間、混んでもいるんじゃないかな。いやまだこの時間ならすいてるか? まあでも『』よりはねえ。このまま追い越し車線でいるほうが無難だと思いますよ。交差点は全部オーバーで越えていけるし。いや全部ではないですけどぉ。そこそこショートカットできるし。まあそうは言ってもそんなに極端に短くなるわけではないですけど。……『』よりは……」


 これを運転しながら話半分に聞くほうには『左』というキーワードだけが印象付けられてしまう。
 強調すればするほど『左』にばかりに意識がいくのね。
 だから「え? コレ左ってこと? 」とうっかり左折しかねない。
 ナビとしては余計な情報は入れずに『真っすぐ』を貫けばいいだけである。
 左折はするな、を伝える必要はこの場合、ないのだから。
 下の名前すら知らない程度のまったく意識していなかった同僚について「あいつには惚れるなよ」と助言をされると、その瞬間から不思議と意識が行くようなものである。
 見るなと言われたからこそ、人は鶴の機織りを見たがったのだ。
 こういう人は簡潔な文章が不得手であるし、日常では説明や道案内が苦手なのではないかと思ふのだ。
 伝えるべき目的地の道中にあるおいしい食事処や景勝など、自分が知っている情報を織り込まずにはおれないタチなのである。
 『表現』することと『伝達』することを混同している。
 よって巧遅拙速、簡潔明瞭な伝達という意識が無い。
 頭にあるのは、とりこぼしや失敗を防ぐことばかり。


「次の信号を右、突き当りを左、ファミマの角を左折して三軒目」という具合にはいかないのだな。


「この先、いなげやと無人交番が隣り合っている交差点。ほら昔、三年前かな、ライン引きの工事で横断歩道を書いた現場。やったでしょ? 俺と太郎さんで。冬でさ。寒くて寒くて、昼前にちらちら雪が降り出して。あちゃーてなって。積もるのかなあって待機んなって。で結局、すぐにやんで再開したんだけど、残業になっちゃったじゃん。……あの交差点。覚えてない? やったよお。あれえ? 相方太郎さんじゃなかったっけ。……をぉ、環八側に曲がって歩道橋くぐって、昔ビデオ屋だったとこの、いまファミマになっちゃったけど。ちがう、ローソンか。あ。その前はほか弁屋だ。ビデオ屋だったとこはもっと先だね。京王ストアの方だ。んじゃあそこ、ほっかほっか亭だった? ホットモット? 24時間のさ。あったじゃん。あったよお。ちなみにそこを右折すると山田さんちのほうに行くんだわ。だから右折しないで。左折して。ずっとずっといって……。違った。あれ四年前だ」


 これじゃあ伝わらないっす。
 思い出や景色は表現できても、伝わらない。
 良かれと思って丁寧にしたのに、めんどくさ〜いヤツになっている。
 




 自戒をこめて。


 ☾☀闇生☆☽