普段はなしのつぶてのくせに、
いざ自分の芝居のチケットを売らねばならないだんになって、買え買えと。
さばけなくて大変なんです、と。
誰から住所を聞いたのかも明かさずに、一方的に宣伝物を送りつけてきたり。
いや、かまわんのよ。べつに。
べつにね。
むしろ覚えていてくれてありがたいくらいだわ。
けどおそらくはそこなんだろうと思ふ。
そこのデリカシー問題に、肝心の芝居が透けて見えちゃっているのね。
天使のように大胆に。
悪魔のように繊細に。は、なにも机に向かう時ばかり発揮しようったって、普段から心がけていないと起動しないもの。
ま、観に行くけど。
芝居はあとかたも無く消えていくものだ。
そこがおもしろさでもあるのだが、
つまりが書き逃げ、演り逃げもできてしまうということ。
後年までなんども再生されて、恥をかき続けるという恐怖も無い。
というあたりに、罠がある。
内実は別として、マラソンを走りきったような達成感に逃げ込みだがる。
だから同じあやまちを繰り返す。
ま、観に行くけど。
現実問題として、いまどき映画より高いお代をいただいて上演しているという実感は、どれくらいあるのだろうか。彼ら無名劇団に。
たとえば寄席について、志らくもそんな問題定義してたね。
『風立ちぬ』や『ウルヴァリン』と俺の芝居は違うから、安っぽい正義感だのお涙頂戴なんかと違うから、というような妙なプライドがあるんだろうけれど、具体的にチケット代と時間という視点で考えてみればいい。
その選択肢を経て身銭を切り、時間を割いて客はお前の芝居を観に来るんだぞと。
だいじょぶか、と。
はずかしくないか、と。
ま、観に行くけど。
いいカモなんだろうなあ。
☾☀闇生☆☽